デニロ

愛の奇跡/ア・チャイルド・イズ・ウェイティングのデニロのレビュー・感想・評価

3.0
1963年製作。製作スタンリー・クレイマー。脚色アビー・マン。監督ジョン・カサヴェテス。わたしは、本作を過去二度観ている。前回は2000年のカサヴェテス特集、何故また観る気になったのかは全く分かりません。
作品の仕上げの段階で製作者と監督の意見が衝突。監督は解雇され、製作者が再編集を行う。その理由は定かではないけれど、カサヴェテスはインタヴューで、二つの違いは、スタンリー版は、知的障害の子どもは施設に入るべきだと言い、わたしは、知的障害の子どもも、健常と言われる大人よりもある部分では優れていると言ったことだ云々、と語っている。そして公開後、再編集された作品を自分の作品とは認めずに、わたしの描いたものよりも感傷的だった、と言っています。

主演のバート・ランカスターは息子さんが小児麻痺に罹っており、同じくジュディ・ガーランドは自身が薬物中毒、多重債務で苦しんでいた。クレイマーは、そんな事情を抱えていたふたりのパフォーマンスに期待して役を割り振り、本作の主題に対する異論を彼らのパフォーマンスで止揚しようとしたのだけれど、どこかで失敗した、と述懐している。

ジュリアード音楽院を卒業して、その後の自身の生き方にさまようジュディ・ガーランドが、友人の勧めで知的障害の施設に何かを求めてやって来る。そこいたのが所長のバート・ランカスター。彼の児童を見る目が客観的でやさしさが足りないのではないか、もっと児童に寄り添うべきではないか、と。そして、面会日に母親を待ち続ける少年に思いを寄せる。原題は、『A Child is Waiting』。ジュディはそんな少年を見かねて、ここは母親を呼んでやろうと、子どもが病気だと嘘を吐く。が、母親は彼に会おうとせず、そのまま帰ってしまう。園庭で遊んでいた少年が母親の後ろ姿に気付き追い縋る。背中で気付いた母親もこころを鬼にして車を先に進ませる。

映画を観ていると、ジュディのど勘違いぶりを強調しているので、この辺りがクレイマーの言いたいところなのだろう。家々にはそれぞれ事情があり、少年の母親が自分の子どもを愛おしいと思わぬはずもない。息子の障害が分かった後の夫婦のすれ違い、離婚、子別れに至る過程のエピソードも交えながら、知的障害、発達障害児童とのかかわり方を突き詰めていく。

ジュディが少年を見る角度と、バート・ランカスターや母親が少年を見る角度の幅は大きく違う、小さな同情心で見る角度と少年の将来を思う角度はどちらが広いのかは明らかだ。それが製作者たちの答えなのだろう。それを分からせるためにバート・ランカスターはジュディに課題を課す。さまよっているジュディにも道しるべを示すのです。

この作品を感傷的に仕上げられたと憤ったカサヴェテスの版はどんな作品だったのだろう。ジュディの感情に訴える演技をどのように処理していたのか観てみたいものだ。

映画館ストレンジャー  The Other Side of John Cassavetes『カサヴェテス特集』 にて
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