“自分を玄人だと思い込んでいる素人”を描くのがデヴィッド・フィンチャーのテーマなのかもしれない。
『北北西に進路を取れ』のオープニングを3DCGを駆使してトレースする。こういうことを本気でやってしまうのが、教科書に載っている折り目ただしい映画しか見ていないフィンチャーらしい。サスペンスをやれ、と言われて真っ先にヒッチコックの参照を律儀に取り組むという愚直なまでの引き出しの少なさに敬服する。やたらと狭いところにカメラ通したがるのも『市民ケーン』への無邪気な追従であろう。
携帯電話というアイテムを特に使いこなせていない、銃と娘の注射の等価交換をする話がなぜかうやむやになる、監視カメラ破壊が特に機能していない、等々脚本に引っかかる箇所が多いが、目の前のサスペンスを処理すればそれでいいだろうという割り切り仕事。クライマックスは三者三様具合の悪い一般人VSめっちゃ怪我してる暴漢 という『羅生門』に匹敵する野暮ったいバトルが繰り広げられ、珍妙な魅力がある。
しかしエンディングの締まらなさには度肝を抜かれる。蛇足的につけた後日談で、母娘が広告を見ながら新しい家を探す様子を特になんの工夫もなくカメラが引いていって音声フェードアウト。
せめて、パニックルーム付きの売物件を見つけて「もう強盗は懲り懲りよオホホ」ぐらいのオチはつけるかと思ったが何もなかった。
『ファイトクラブ』の映画史上最も崇高なエンディングを撮った才覚ととても同じ手によるとは思えない弛緩ぶりには、また一つ映画の底知れなさを痛感させられた。
ジョディ・フォスターの寝起きギャル演技はめちゃくちゃ可愛い。