ちろる

女が階段を上る時のちろるのレビュー・感想・評価

女が階段を上る時(1960年製作の映画)
4.2
バーのママの視点から語られる夜の世界
まるでピンクパンサーみたいなジャズ音楽が流れて昭和の銀座にしか出せない「粋」な世界にどっぷりと入り込める。
とうの昔に夫を事故で亡くし、自分の力で生きざる得なかった女が毎夜重い気分でバー入り口につながる長い階段を上る。

寂しくて仕方ない心をひた隠しにして、でも誰にも貞操を許さずにいた女は一歩引いた場所から男たちを観察して、決して流されない凛とした圭子はママという立場であっても、階段を上がる前に気が重くなるというのは実はまだ、夜の世界にいる覚悟ができていなかっただけなのだろう。
人生の分岐点で、もしかしたら今頃子育てに明け暮れる普通の主婦になっていたかもしれない女が、当たり前のように夜の女になるにはまたそれなりの覚悟が必要になる。
女30、ひとつの節目にさしかかり、ふたたび結婚か仕事一筋かを決断するその時間をじっくりと書いたドロドロ愛憎劇などもないシンプルなストーリーなのだけど、圭子を演じる高峰秀子さんの揺れ動く女心を繊細に表現した演技には目が離せない。
これほあくまでもバーやキャバレーで働いく女の視点で描いた作品なのに、次々と出てくる男たちを品定めすることができる。
銀座で遊び歩くといってもモテる男や、どうしても気になる男、箸にも棒にもかからない男などふむふむ、と。
少し古いので多少は違うけど、女の感覚はそうは変わらない。
これは男性にとっても良い参考映像になるのではないか?とも思う。

私は思うのだけど、女が何であんな男と。っていう遊び人に惚れやすいのは心のどこかで言い訳を作りたいからなのだと思う。
誠実そうな人を目の片隅で見えていたとしても、そんな人に捨てられたら本当に居場所がなくなってしまうから、つい騙されても言い訳できる遊び人に逃げてしまうのかも?
夜の女として生きるなら、誠実そうな男を手玉に取るのはほどほどに。
遊び慣れた男には溺れずうまく利用して逞しく生き延びるしかないそれが夜の女の生きる道。
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