日本人に「ぼやきといえば?」と質問したら、楽天元監督の野村克也氏とヤッターマンのボヤッキーに並んで回答の大多数を占めるであろう人物が「ダイ・ハード」シリーズの主人公、マクレーン刑事だ。つまり、ぼやき・オブ・アメリカのような人物であり、シリーズを象徴する要素の一つはぼやきであるといってもいい。
「なんで俺ばっかり…」とぼやきつつ血だらけでビルや街を駆け、敵の前ではたばこをふかしたりなんかして不敵な表情を見せる。そんなキャラクターが80年代後半から90年代に作られた3部作に独自の色をもたらしていた。
しかし、この4作目になるとマクレーン刑事はぼやきを失う。そうなると、もはや「ダイ・ハード」にナンバリングしていいのかどうか、とも思える。ぼやきは、ものの資料によれば不条理な戦闘に巻き込まれるベトナム戦争従軍者の立場からの批判という。00年代にそれをする必要をないだろうし、ぼやきが作品の個性だということ素人に言われるまでもなくを作り手も重々承知しているからこそ、ぼやき担当の若者を置いてもいるのだろう。
映像もまた、マクレーン刑事の姿同様の泥臭さや「90年代の金曜ロードショー御用達アクション映画」の3作目までの風情はまったくなく、「ボーン」シリーズ以降のスタイリッシュさを宿している。それはそうだ。1作目から約20年経っているのだもの。
もはや、「ダイ・ハード」ではないのかもしれない。そうだとしても、この作品単体で観たときに十分楽しいことには変わりがない。スタイリッシュな映像を売りにする(のであろう。正直ほかの監督作は未見なので…)監督らしく、流れ来る映像に身を任せていることに満足感を覚えるし、父親としての男気溢れるセリフを吐くマクレーンには痺れる。時代の要求に応えた娯楽作としてはそれ以上を求める必要はないだろう。
しかしこの作品はただの娯楽作ではなく、「ダイ・ハード」の名前を背負ってしまった。時代の要求に応えた作品であるが、時代を代表する作品にはならなかった。鑑賞後に爽快感を抱きながら、残念な思いもあった。
いろいろ文句じみたけれど、この作品がつまらないなどと言うつもりはまったくないことを強調しておく。そして、文句をうだうだ言うのはマクレーン刑事の真似でもないことを記しておく。