明石です

ぼくの伯父さんの休暇の明石ですのレビュー・感想・評価

ぼくの伯父さんの休暇(1952年製作の映画)
3.3
海辺の小さな街へバカンスにきたユロ伯父さんは、至るところで騒ぎを起こしてばかり、でもその愛すべき人柄(?)から、人は彼のお馬鹿を受け入れていく。ジャック·タチが監督、主演を務めた「ユロ伯父さん」シリーズの一作目。およそ10秒に一度繰り出されるギャグはほとんどがサイレント映画さながら身体的で、幕間に挟まる印象的な音楽に挟まれていくつかのエピソードが進行してゆく形式、ですが、個人的にはまったく好きになれず。

基本わたしは身体的なコメディよりも言語的なコメディのほうが笑えるのですが、本作に関しては残念ながらクスリともこなかった。で、終盤の40分ほど、何が面白くないのか真剣に考え、分かった気がする。ギャグを繰り出すために、主人公を「お馬鹿」にするのが好きじゃないんだなきっと。ボケる側の知能レベルを下げて、「ほら面白いでしょ?」とされても、そんなひと現実にはいないし、いたとしてもウザいだけじゃん(「非常識」という偽善的な言葉はあえて避ける。ただ本当にこのレベルはウザいと思う。まあそもそも居ないんだけどね)って、醒めた態度で受け取ってしまう。

『ジョニー·イングリッシュ』や『Mr.ビーン』など、ローワン·アトキンソン主演のコメディは明らかにこのサイレント時代の(名残のある)身体的喜劇の系譜を受け継いでおり、ついでにいえば、あれらに関しては大嫌いです。ウディアレンでさえ、初期のドタバタ喜劇はそんなに笑えなかったもんな。それから、笑いに奉仕しようという作り手の魂胆があまりにあけすけな演出も気になった。

ともあれ、トーキーの時代にあって、どこまで言語を退けた、こう言ってよければコスモポリタンな映画作りをできるかというのはまぎれもなく一個の挑戦だったはずで、そのジャック·タチの狙いは、アカデミーの外国作品賞を取ったとか(あれ、次作だっけ?)で、しっかり報われているみたい。なおそれも個人的には好きではない笑。能力のある人間が白痴のふりして評価されるって、品位に欠けるじゃん、、

私的に本作の功績は、のちの第二作でピエール·エテックスを起用し、彼のコメディアンとしての資質を開花させたことに尽きると思っている。エテックスも身体のコメディではあるんだけど、あれは本当に笑えた。本作と同じお馬鹿なスラップスティックである反面、主人公がお馬鹿なのではなく、主人公の置かれた「状況」がお馬鹿なのだと、ドタバタ喜劇のあり方を設定し直したところが偉大だった。これ、本作のレビューとはあんまり関係ないけどね。
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