レインウォッチャー

ストップ・メイキング・センスのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

4.0
「アメリカン・ユートピア」の予習として復習。

ライヴパフォーマンスの類には、キャリアの中で本人たちにも計り知れない魔法というか化学反応がスパークしてしまう瞬間というのがあると思う。後になって「脂の乗った」「最盛期の」とか評されることもあったりするわけだけれど、大抵の場合はそんなに何度も続くことではなくって(本人たちにも再現できない)、目撃する側にも明らかに「ノッている」刹那を捕まえる美しさが飛び込んでくる…

これは、トーキングヘッズというバンドのまさにそんな貴重な一夜を、それもバロック絵画のような(音楽それ自体を変に邪魔することなく、それでいて光のコントラストなどが効果的にライヴの躍動感を際立たせる)映像で残すことに成功した作品だ。「ストップ・メイキング・センス」とはよく言ったもので、どちらかというとこちらがセンスをメイクしようとする間もなくバッキバキのグルーヴと明暗が叩きつけられ続けるという、もはや合法ドラッグとなっている。MCもほぼなし、観客のカットも最小限の没入感重視トリップ。

おうちでもしっかり飽きずに通して観れてしまうのは、ただ演奏の様子を垂れ流しているだけでなく一曲ごとに舞台装置が目の前で変わっていくという視覚的仕掛けも一役買っている。いろいろインタビュー記事などを読んでいるとこのへんの演出は主にバンドメンバーの側が組み立てたものらしく、ジョナサンデミさんは何してたの?がなかなか情報出てこなかったりするのだけれども、いかに誠実に記録するかに徹していたのかな。

ところでトーキングヘッズ(およびそのフロントマンであるデヴィッドバーンさん)は「文化の盗用」という側面で批判を受けることもあったようだ。パンクシーンから出てきたバンドが徐々にアフロ・ファンクの要素、つまりブラックミュージックに開眼し大胆に融合させることで誰も聞いたことがない音楽を産むに至った。ただそこはかなりスタジオでのプロデュース先行なところがあって、バンドメンバー自身はその理想像を生で具現化できるほど演奏が達者でない(この映画でも特にドラム、ベースのもっちゃり具合はきっちり記録されている)ために、その音像の決して少なくないパートを黒人ゲストミュージシャンに頼ることになっている。そこに文化盗用と言われて然るべきほどの搾取構造があったのかは正直わからない。我が物顔でブラックオリエンテッドな音楽を演奏している「ふり」をしているような白人メンバーとそいつらに使われる黒人たち…のようなルックが悪影響だったのか。実際ギャラが少なかったとかあるのか。ただすくなくとも、この映像の中では彼らはみなクリエイター・パフォーマー・プレイヤーというそれぞれの役割に対して誠実で、互いのリスペクトがあるように見えるのだけどなあ。バーニーウォレルがめっちゃガン飛ばしてくるけど。

ただそんなことは別にしても、死ぬほどかっこいいのは否定しようのない事実だと言っておきたい。この「折衷文化グルーヴ」と「文系でアートな佇まい」のコンボはその後膨大なフォロワーを生むことになり、直系となるUS/UKのインディー・オルタナ勢はもちろんのこと、我が国のサカナクションや米津玄師にまで線を引っ張ることができるんじゃあないかと思っている(バーンのあの珍妙な踊りを継承したのはトムヨークさんくらいしかいなかったけれど)

さあこんなあれやこれやに対して「アメリカンユートピア」はどのようなアンサー&進化になっているのか。楽しみ!