映画漬廃人伊波興一

火まつりの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

火まつり(1985年製作の映画)
3.9
群居を好む鳥獣たちは、その気配を鎮め、樹の上で木の実をむしり取っている猿さえも姿を消す。それが山の神を精力の対象とする男の猛々しさ。
柳町光男「火まつり」

こんな秋の夜長さえページをめくるのが億劫になるほど読書離れした私でも全作品、全エッセー、そして寄稿の殆どを読み漁った作家がいます。
それが中上健次。
何故、中上にそこまで惹かれたのか?
今もってうまく説明できないから未だに飽きずに繰り返し読んでおります。

その中上がシナリオを担当したとなれば食指が動かぬわけがない。
しかも田村正毅のカメラ、武満徹の旋律が加わるともなれば。

今どきでは珍しい継ぎ接ぎだらけのズボンとシャツ。
それが山林の中では鳥の羽に見えるほど林業に精を出す北大路欣也の背中に良く似合います。

晴れていた空が急に雲り、やがて激しい嵐が襲ってくる。
他のきこり仲間たちが下山するも、北大路だけがひとり残るシーン。
雲の流れ、木々の揺れる音、川のせせらぎの音の中で、何か超自然的なものが画面を横溢します。
まさに熊野の山神の声。

砂子の屏風を想わせる眺めの前に佇み、木深い森の奥を、あの大きな目でくりくりさせながら見据える北大路の姿は単なる野生動物とは似て非なる生き物そのもの。
ラスト、静寂な町に響き渡る銃声に腰が砕けた森下愛子でなくとも誰もが足がすくませる迫力です。

一応は実際の事件を題材にしておりますが、本作の魅力は何といっても崩壊を自覚しながらも神の入江で泳いだり、榊で罠を作るなど、タブーをことごとく破るような暴れ者の抗いようのない性(さが)。

「十九歳の地図」の本間優二、「さらば愛しき大地」の根津甚八同様、どこを切っても男盛りの彼らなら、新配達員詰め所や農業・工業が新旧渾然一体となるような閉塞的環境なら尚更、鬼神にとりつかれたような衝動に駆られていくのは理屈抜きに頷けます。

柳町光男が(端正)で(節度ある)作家とも思えませんが、重油の中、白い腹を上にして浮かぶ大量のハマチや、自らの口に銃口を入れて足の親指で引き金を引く北大路のショットが得体のしれぬ不気味な残滓として記憶の中に蘇った時、数年周期でこちらもいつの間にかデーモンニッシュに(観たくなる)衝動に駆られていくのです。