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ソドムの市のSのネタバレレビュー・内容・結末

ソドムの市(1975年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

2021/06/24 DVD【オリジナル全長版】にて

来たる2022年に生誕100年を迎えるピエロ・パオロ・パゾリーニ監督。
性と暴力という非常手段を用いて、映画史にかつてない鮮烈な映像文学を展開させ、奇才の名を欲しいままにして逝ったパゾリーニの遺作『ソドムの市』(1975/伊)
何年も前から観たかった本作を運良く入手。この度満を持しての鑑賞。

18世紀文学の異端児マルキ・ド・サドの『ソドムの120日』が原作。パゾリーニとセルジオ・チッティが共同脚色、音楽はエンニオ・モリコーネと、パゾリーニの常連が名を連ねる。一方で出演俳優は、教師、紳士服店主、作家などが中心で、これまでのパゾリーニ映画の俳優は誰一人として出演していない。
本作の完成後、パリ映画祭での初公開を待たず、1975年11月2日 ローマにあるオスティ海岸でパゾリーニが惨殺死体となって発見されたというニュースが世界に衝撃を走らせる。そして映画公開後は、余りに過激なため欧米国では上映禁止となっている。

物語の舞台は1944年、ナチスドイツ占領下の北イタリア。大統領、公爵、最高判事、大司教と名乗る4人のファシストがその権力を振りかざし、とある大邸宅で一大饗宴を開始する。町中から美少女と美少年を拉致するように狩り集め、更に取捨選択した18人の男女を生贄に、ファシストは自らの歪んだ性癖を満たすべく、強姦、同性愛、咎刑、スカトロジー、大量虐殺という想像を絶した行いを強要し、まさに地獄絵図が繰り広げられる。
13世紀のイタリアの詩人ダンテ『神曲』から構想を得た「地獄の門」「変態地獄」「糞尿地獄」「血の地獄」という4つに区切られたエピソードで進んでいくが、同性愛者であったパゾリーニ自身の性的な嗜好が大いに物語に盛り込まれているのだろうことは想像にも容易い。

本作の製作から四半世紀も経ち、時代が大きく変わり、映画技術も発展を遂げた現代において、改めて本作と双璧を成す問題作はあろうか?
現代において、後味の悪い‘’胸糞映画‘’という新たに築かれつつあるカテゴリーで必ずと言って良いほど紹介される本作だが、その一言では片付けられない映画だと思います。
公開時にスクリーンで、何も知らず初めてこの映画を観た観客たちのショックはどれほどのものだったかと思う。
気になって予告を視聴したり、事前情報を集めたりしていたが、それでもやはりこの映画は壮絶だった。

拉致した少年少女らへの人間以下の扱い。
平等に与えられるべき自由と権限を奪われ、逃げ場の無い中で受け続ける苦痛の数々はまさに生地獄。ファシストらの変態行為を通して、人の心を失った非道かつ残虐行為を観続けるのは苦痛だった。
エピソードが後半に進むにつれ過激になっていくが、スカトロジー描写は作り物であると解っても妄想して吐き気を催した。
引きで撮影したカメラのアングルで、性行為の場面が鮮明に見えないようにしているのか想像ほど過激だとは思わなかった。
それよりも閉鎖的な空間で最初は泣きわめいたり逃げ出そうとしていた少年少女たちが、異常な環境下で過ごすうち、館の居間でファシストの仲間である夫人たちが、過去に体験した変態的な性行為を告白するものに、気づけば抵抗なく聞き入っている場面は、異常な環境は人を洗脳し得るものだという戦争に通じる怖さ、それを生み出したのは人間の愚かさだという怖ろしさを感じる。モリコーネの優雅な音楽がその歪んだ世界に不似合いな美を放ち、異様な空間であった。

パゾリーニが生前に共産主義者であった事からその政治的な思想と、強烈なファシスト批判が本作から汲み取れるものの、何故これほどまで残酷な映画を製作せざるを得なかったのだろうという疑問が残りました。
パゾリーニが遂げた不可解な死とともに、彼の謎大き人生に迫ってみたくなる、唯一無二の作品でした。
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