イルーナ

アメリカン・ヒストリーXのイルーナのネタバレレビュー・内容・結末

アメリカン・ヒストリーX(1998年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

今なお根深い人種差別問題、そしてその根源にあるものは何かと問う、非常に重厚な作品です。
昔、大学の人種差別問題についての講義で観たのですが、教材に取り上げられるのも納得の内容。

まずはデレク演じるエドワード・ノートンの圧倒的な熱演。鉤十字を始めいくつもの刺青が施され、鍛え上げられた肉体と剃り上げた頭。威圧的であると同時に、非常に格好いいです。
頭脳明晰なデレクは、白人至上主義グループの中でもカリスマ的な存在で、韓国人が経営するスーパーを襲撃する前のアジテーション演説には、思わず引き込まれてしまう独特の引力があります。
しかし、それは、ネオナチズムの恐ろしさをも同時に物語っています。彼らの語る理想は、白人の側からすると、実に耳に快いでしょう。でも、その美しさに心を奪われていると、恐ろしい罠が待っている。
いつしか、自分の頭で考える力さえも、アジテーターの手に奪われてしまうのですから。
そう、カリスマだったはずのデレクですら、実は、キャメロンという黒幕に操られるだけの存在だったのだから。

バスケットボールの試合のシーンといい、刑務所でデレクが白人に犯されるシーンといい、映像に圧倒的な力がある作品です。上映時間の間、まったく退屈することがなく、画面に引き寄せられる。
また、登場人物の生の感情のぶつけ合いが、心を揺り動かす。素直な良い子であったはずの息子が差別主義者となってしまい、しかも殺人を犯して刑務所に入れられたというだけでも大きな哀しみであるのに、弟までもが、心酔するあまり兄と同じ道を歩もうとしているのを目の当たりにした母の慟哭。
「憎しみは、君を幸せにしたか?」という校長先生のセリフがずしんと心に響きます。

またこの作品が素晴らしいのは、なぜこのような白人至上主義的なムーブメントが存在しているのか?という事実を冷静に描き、そしてそれがなぜ生まれのたか? という点を表現している点です。
デレクがネオナチズムに走ったのは、父親が黒人に殺されたから、ということになっていますが、映画が進むにつれ、実はそれだけが原因ではないということがわかります。
デレクとダニーの父親は、実直な模範市民でした。しかしながら、そんな普通の人間の中にも、差別意識が潜んでいるという現実が描かれます。
アメリカには、「アファーマティブ・アクション」というものがあり、マイノリティを優遇し、同じ成績だったら有色人種が優先的に大学に入学できるなど、人種別の人数枠が設けられたりしているそうです。就職の場合も同じで、デレクとダニーの父親はそのような逆差別の状況に怒りを感じ、やがては差別意識を募らせていきました。
差別意識というものは、善意の人間においても、社会状況によってごく自然に生まれ、親から子へと伝播していくものであるということを巧みに描いたエピソードです(もちろん、だからといって差別意識を持っていいということにはならないのですが…)。

しかし、デレクとダニーが白人至上主義という、偏った思想から抜け出してめでたしめでたしでは終わらず、結局憎しみや差別は終わらないというエンディングは重いです。
一度憎しみを抱いてしまったという事実が誰も幸せにすることもなく、結局その報いで、一番大切にしていたものを永遠に失ってしまう。デレクとダニーの兄弟愛を軸にした物語であるだけに、悲しく、胸に響く幕切れでした……
しかしそんな悲劇のなかでも、ダニーのレポートの締めくくりの言葉が、かすかな希望を感じさせてくれるようでもありました。
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