SANKOU

母なる証明のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

母なる証明(2009年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

ポン・ジュノ監督の作品は常に社会的弱者の問題を鋭くえぐり出し、観客に衝撃的な現実を突き付ける。決して映画の中で問題が解決するわけではなく、観客は提起された問題について深く考えさせられる。
作中の全ての台詞、全てのシーンに意味があるのだが、提示された道筋通りに物語の行き着く先を辿っていくと、思わぬところで裏切られる展開が待ち受けているのもポン・ジュノ監督の作品らしい。
冒頭、一人の年老いた女性が草原の中で無表情のダンスを踊るシーンは異様である。彼女は踊っているのか、それとも運命に踊らされているのか。
この女性は知的障害を持つ息子のトジュンと二人で貧しい生活を送っている。父親はどうしているのか、二人のこれまでの人生が深く語られることはないが、母親が息子に寄せる異常なまでの愛情にこれまでの二人の歩んできた苦しい道のりが窺い知れるところもある。
トジュンが立ち小便をしているところを咎めるでもなくじっと見守り続ける母親の姿がおかしくもあり、やや不気味な印象を与える。
トジュンが記憶力があまり良くないこと、こめかみを抑える仕草をすることで何かを思い出すこともあること、女性の身体に対して興味を持っていること、そしてバカと言われることに対して過剰なまでに反発する癖があること、こうした事実が全て後に大きな意味を持つことになる。
ある日トジュンはベンツにひき逃げされそうになる。血を流しているのは実は指を怪我した母親の方なのだが、気が動転した母親はトジュンが怪我をしたのだと思い込んでしまう。悪友のジンテと共にトジュンはベンツの後を追いかけ復讐しようとする。
ジンテはゴルフ場に停められたベンツのサイドミラーを蹴り飛ばして壊す。
既にトジュンの中では自分がひき逃げされそうになったことなど忘れ去られており、彼は池に落ちたゴルフボールを拾うのに夢中である。やがてジンテとトジュンはひき逃げをしようとした犯人を待ち伏せして暴行を加える。
トジュンをひき逃げしようとしたのは立派な教授らしく、警察では示談にしてお互いになかったことにした方が良いだろうと提案するが、壊されたサイドミラーだけは弁償しなければいけなくなる。壊したのはジンテなのだが、トジュンの記憶力が悪いのをいいことにジンテは全て責任をトジュンにかぶせる。
只でさえお金がなくて困っている母親だが、犯人に仕返しをしたトジュンを彼女は怒るどころか逆に良くやったと褒めてやる。
金持ちばかりがいい思いをして、常に貧乏人ばかりが割りを食うというのもポン・ジュノ作品の特徴でもある。物語はここで大きな展開を見せる。
町に住む女子高生が何故か見晴らしのいい屋上で誰かに見せつけるように殺されているのが発見される。そしてその事件の容疑者としてトジュンが逮捕されてしまう。
トジュンが人殺しなど出来るはずがないと母親は必死で警察に訴えかけるが、現場からトジュンが拾ったゴルフボールが発見されたという証拠だけで警察はトジュンを拘束する。
警察の捜査の杜撰さと間抜けっぷりは笑いを誘うシーンでもあるが、母親側からすれば深刻な問題だ。
金がないために弁護士もまともに取り合ってはくれない。母親は自らの手で犯人を捕まえようと動き出しジンテに疑いの目を向ける。彼女はこっそりジンテの部屋に侵入し、血のついたゴルフクラブを持ち出し警察に突き出すが、検査の結果それは血ではなく口紅であることが分かる。
逆に犯人扱いを受けたジンテに慰謝料を請求されてしまう母親。ジンテは誰も信用せずに、自分の手で犯人を捜すのだ、殺されたアジョンという少女の身辺から当たってみるといいと母親にアドバイスをする。
警察も弁護士も信用出来なくなった母親は、必死の形相で息子の無実を晴らすために奔走する。本来なら健気な母親に感情移入したくなるところだが、異様なまでに息子に執着を見せる母親の姿がどこか寄せ付けない怖さをはらんでいる。
やがて殺されたアジョンも複雑な家庭の事情を抱えており、不特定多数の男たちと関係を持ち、男たちの写真を携帯電話で隠し撮りし保存しているという闇の深い人物であることが分かってくる。
事件のことを思い出そうとするトジュンが、自分の母親に殺されそうになったことを思い出すシーンはゾッとさせられる。
澄んだ瞳を持っているトジュンだが、どこか全てを見透かしているような恐ろしさも感じさせる。息子と心中しようとするまでに追い詰められていた母親の事情は深くは語られないが、やはり彼女が壮絶な人生を歩んできたことは確かだ。恐らくトジュンの頭に障害が残ったのもこの心中未遂と無関係ではないだろう。
ようやくトジュンは現場近くで一人の老人の姿を見たことを思い出す。その老人は殺されたアジョンの携帯の中にも写真が保存されていた。
そしてその老人は郊外で廃品回収の仕事を営んでいる。ようやく真実にたどり着ける、息子の無罪を証明できると老人の元を訪れる母親に、運命は残酷な現実を突き付ける。
老人はトジュンがアジョンを殺す現場を全て目撃していた。アジョンは自分を弄んできた男たちに対して憎しみの気持ちを抱いていた。トジュンはただ女性に興味があり、彼女の後を追っていた。そしてアジョンが憎しみを込めて発したバカ野郎の言葉に過剰に反応してしまった。
不幸な偶然が重なり殺人は行われてしまった。老人の言葉を受け入れられない母親は咄嗟に老人を殴り殺してしまう。
我に帰った母親が、「お母さん、助けて!」と叫ぶシーンは印象的だった。
原題は『Mother』だが、これは恐らく世の中の全ての母親を指しているのではないだろうか。トジュンの母親の名前も劇中では一度も呼ばれないのだが、これも意味のあることだろうと思った。
彼女は母親であり、殺されたアジョンと同じく一人の女性である。
母親という作られたイメージの中で縛り付けられる多くの女性たち。邦題の『母なる証明』もこの作品を良く表していると思う。
後に警察は真犯人として一人の男を逮捕する。彼がアジョンの血のついた衣服を身につけていたことが証拠となるのだが、実はアジョンは良く鼻血を出していた。
真実を知ってしまった母親は逮捕された男に面会するが、彼もまた恐らく何らかの知的障害を持っている両親のいない哀れな青年だった。
母親には全てを警察に話して男の逮捕が誤認であることを証明することが出来たが、彼女は結局トジュンの釈放を選ぶ。
ジンテが新車で釈放されたトジュンを迎えに行くのだが、その新車は恐らく母親から巻き上げた慰謝料から購入したものだろう。
持てないもの同士が足を引っ張りあっているような構図も、ポン・ジュノ作品では良く見られる。トジュンの代わりに罰を受けるのも、同じようなどん底の世界で生きる男である。
この作品では誰の心も救われることがない。この後味の悪さが、ポン・ジュノが世間に訴えたいメッセージの重さを表しているようだ。
全ての苦しみを背負って悲壮な表情を浮かべながらも無理に笑おうとしてダンスを踊る母親役のキム・ヘジャ。無垢なようでいてやはり最後まで何もかも見通しているような恐ろしさを持つトジュン役のウォンビン。
この二人の俳優の存在感が格別に素晴らしかった。
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