映画漬廃人伊波興一

炎のごとくの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

炎のごとく(1981年製作の映画)
4.4
思わずため息を漏らしてしまうほど美しい「行書・草書」に遭遇した時のごとく

加藤泰
「炎のごとく」

現在は文書を作成するのにスマホひとつあればあらゆる書体を変幻自在に操作出来る便利な世の中です。

おかげさまで私など時々、数日前に書いた自分のメモ字を識別出来ないほど情けない悪筆ぶりに墜ちてしまいました。

ですから手元に届くハガキ、手紙、案内状などの中に肉筆があれば自然と目が行きます。

自分もこんな字が書いてみたい、と。

美しい肉筆の「楷書」にも感動しますが、美しい肉筆の「行書・草書」には本当にため息が漏れるばかりです。
まさに文字自体にこちらの言葉が奪われてしまうかのように。

この筆致に至るまでどんな葛藤、修練が背後に隠されているのか。

二文字以上の文字を続け書きすることを意味する(連綿)で巧みに綴られた書体「行書・草書」は、点画の形を変化・省略させながら流れや躍動感を加え、文字を一層美しく見せる効果をもたらしてくれるのはご周知の通り。

一見、スピーディーに書く印象が強い「行書・草書」ですが、実際はとてもゆっくり書き、息継ぎや休憩を小刻みに入れて、元々あった「楷書」を(軸)にして書いているそうです。

神社仏閣などの日本家屋にせよ、呉服反物の染色にせよ、着物の着付けにせよ、皿や小鉢の焼き物から和食の盛り付け、そして活け花、茶道華道の立ち振る舞いに至るまで、(美)に通じるもの全てにはそんな(軸)が確実にあると思います。

出来上がりのイメージを巡って作り手が表している色や配置、響きや動きなどが、概念や主題から大きくかけ離れ、見る者の瞳と葛藤を繰り返してようやく生産されるもの。
それを私たちは「様式美」と呼んでいます。

「瞼の母」や「明治侠客伝 三代目襲名」、「沓掛時次郎 遊侠一匹」「緋牡丹博徒」シリーズ、そして「人生劇場」と「日本侠花伝」からこの遺作「炎のごとく」に至るまで加藤泰作品に一貫しているのはスジや主題や、情念の炸裂だけではなく、確かな(軸)に裏付けられた「様式美」というべきもの。

本来、映画を語る時(この映画、美しい)などと、みだりに口に出すべきではない、と思っていますが、「炎のごとく」において、扇子を手前に配置し、町を縦構図で捉えた素晴らしさといかだで海をくだる瞬間の美しさを触れてしまえば、出会った事のない「行書・草書」の肉筆に遭遇した時に似た感激に囚われ、(この映画、美しい)以外、何も言えなくなってしまうのです。