Kuuta

A.I.のKuutaのレビュー・感想・評価

A.I.(2001年製作の映画)
3.8
昔テレビで途切れ途切れに見て以来。カミンスキーのビカビカの撮影がおとぎ話のようなトーンと噛み合っている。テンポも抜群。2時間20分退屈せず、話に夢中で映像に目を向ける余裕がなかった。だらだら書きます。

・私の中では、AIは自ら思考し能力を高めていく、自律的なイメージがあるのだが、愛することをプログラムされ、永遠に母を愛するデヴィッドは、親子という呪いに苦しむ人間の子供に最初から見えた。

2000年後に超進化したAIの目的は、人間という存在の探究であって、今作はAIの問題よりも「人を人たらしめるもの」について問いかけているのだろう。何も応えないブルーフェアリーに、人でありたいと願うデヴィッドは紛れもない信仰者であり、神の沈黙に耐え続ける存在だ。

・その上でラストに感じたのは、人を人として存在させる、実存の根源にあるのは、愛する人に存在して欲しいと願うエゴなのかなということだ。

母親は自分が必要な時だけデヴィッドを求め、デヴィッドは理想の母のクローンを作り出す。そこに相互理解はないのだが、2人は同じことを繰り返している。幻想を押し付け、分かりあった気になってそれぞれ死んでいく。

残酷な結末のようでいて、幻想さえあれば人は生きることが出来るという、物語に対する大胆な肯定にも取れる。自分が生きる意味はどこにもないが、誰かを必要とすることは出来る。誰かに必要とされる範囲において、自分が生きている意味もあるのかもしれない。何かを創造しようとするエゴが、人の心を支える。

数年前に見た韓国のドキュメンタリーのことを思い出した。病死した娘の姿や声をVR空間に再現し、母親が最良の一日を過ごす話で、VRゴーグルを付けたまま娘を抱きしめようとする母親の姿が強烈に印象に残っている。この映画とほぼ同じことが、本当に起きている。こちらも悲しい内容だが、いろんな感情を想起させられるので、ネット記事だけでも読むのをオススメしたい。

・デヴィッドは初登場時から宇宙人、異形として演出され、最後まで誰とも分かり合えない。異形サイコーな「未知との遭遇」や、宇宙人と友達になれた「E.T.」と異なり、異形目線で人との交流の不可能性を描く。腹落ちする展開だった。

・ジュード・ロウ演じるセクサロイドが「愛もサービスなのでは」的な話をするが、他者との性愛と、血縁にも関わる親子愛は一緒に語れないのでは?と、後半はそのことばかり考えていた。恋人間で愛を偽装されると、過去の関係も含めて全て嘘のように感じ、クーリングオフしたい感情が生じるが、実は親子関係が嘘だったと言われても、そこに何かの意味を見出してしまう、的な…。うまく言語化できていないが。。

・今作の父親は天馬博士もといデヴィッドの開発者なのだろうが、マッドサイエンティスト的な描写が強く、父としての掘り下げがやや物足りなかった。そういう話だから仕方ないのだが、子供という呪いに苦しむのが母親に限定されているように見え、若干引っかかった。

・ラダイト運動のごとく復活したスクラップ祭り。人間至上主義を謳う反動は、ロボットが今より普及したら普通に起こりそう。スピルバーグの残酷趣味が伸び伸びと表現されている。得意の顔面崩壊描写はほうれん草のシーンでも。

・子供を助けるくらいしかプログラムされていないだろうテディ、ラストシーンの後はどうなるのだろうか。ロボットがロボットである象徴として体に刃物を突き刺す動作が出てくるのだが、彼はデヴィッドのために体を切り、ほつれた体を自分で縫っていた。切ない。
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