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『青春のくずや〜おはらい』に投稿された感想・評価

アーカイヴ録画。モレッティ祭りのために再見。ほんとうは"Io sono un autarchico" から見たかったのだけど、8mm ビデオに入っていて断念。再生機が壊れているのだ。

 "Io sono un autarchico"の意味は「ぼくは独りでやれるのさ/誰の助けもいらないぜ」ぐらいだろうか。この最初の長編は16ミリから35ミリにブローアップされて上映されたもの。それに続くのがこの映画。タイトルの「Ecce bombo」は映画のなかにも出てくるが、自転車をこいで廃品を回収してまわる男の掛け声だから、日本語のタイトルに「くずやおはらい」とあるわけだ。

 脚本・監督はモレッティ。主人公のミケーレ・アピチェッラの依代も本人。このミケーレこそが、ナンニのある意味でアルターエゴとして作品の中心にいて、『赤いシュート』(1989)までのモレッティ映画を牽引する。このミケーレという登場人物の、無意味な行動力(あるいは無行動)、芝居がかったセリフ回し、そして空虚なユーモアは、テロリズムの吹き荒れた70年代の終わりに大ヒットする。

 それは、大義名分を掲げた行動主義の行き着く先に破壊と混乱が待っていることが、少しだけわかりかけてきた時代だ。モレッティの世代は「68年」に遅れて参入した「ポスト68年世代」。一方で階級闘争という歴史的で公的なイヴェントに参加する義務を感じながら、一方では情熱を感じることができず、いわゆる「白けた」感覚のなかに漂泊し、個人的な空虚を生きている。

 そんなセンスが時代と共鳴したのだろう。イタリアでは異例の大ヒット。映画制作としても異例のスタイルで、大きな撮影所を通さず、プロデユーサーはミケーレ・プラチドらの俳優が務めている。予算がないので16ミリで撮影し35ミリにブローアップして公開したのも異例。映画館での興行も、いわゆる興行チェーンから外れたものとなって、これまた異例。さらに、モレッティの映画には欠かせない音楽を提供するフランコ・ピエルサンティにしても、コントラバスの奏者であって作曲を勉強したわけではない。ただ、ニーノ・ロータのアシスタントをしながら映画の世界を進められたというのだから、これまた異例。

 内容も異例。新世代による新しい喜劇として認知されるものの、実際のところはベケットの不条理劇に近く、どこかその『ゴドーを待ちながら』や『エンドゲーム』を思わせるという指摘のほうが正しいのだろう。

 今回は見直してそんな思いを強くする。踊りのシーンもすでに印象的。そこに「フェリーニ風だな」というセリフが重なるところも、モレッティらしい自己言及性。みんなでオルガを探しに動き出すシーンのスペクタクル性も忘れていた。そうなんだよな。あそこでなぜかみんなが動き出す。ただオルガに会いに行くというだけど、そこに大きな意味はない。ただ、「会いにゆこう」という言葉に反応して、水面に広がる波紋のようなスペクタクルに、ぼくは圧倒される。

 けれどもそれは、水面の波紋なのだ。全ては元に戻ってゆく。ただミケーレだけは、動かないと言いながら、動いてしまったことに呆然することになる。自分を呆然と見つめるオルガの眼差しを受け止めながら。

追記:
そうなんだよね。ミケーレの部屋にはキートンが飾られている。チャップリンではない。そのあたりがポイント。
  
berThe

berTheの感想・評価

4.5
2020.02.29