たしかにこれはマスターピースな作品。マーティン・スコセッシ、イザベル・ユペール、ジョン&ヨーコ、マドンナ、ヴィンセント・ギャロ、ソフィア・コッポラなどなど、名だたる映画人やアーティストが支持したり影響されたりするわけだ。
これが1970年の作品というのもすごい。ジャンヌ・ディエルマンより5年早い。ヴェネツィア映画祭で最優秀外国映画賞を獲り、カンヌでも絶賛。だけど、本国アメリカでは黙殺されていたそうだ。
逃避行が始まるキッカケから、ぐいぐい面白くなる。漂流する(流され続ける)ワンダの表情がせつない。
寝巻きにカーラー頭で街中を歩く姿が滑稽で、ギョッとなるが見てると癖になってくる。
ダメっ娘ワンダの現金すっからかんの白いエナメルハンドバッグもだんだんカッコよく見えてくる不思議。
男に依存するように見えて、寄生するということではなく、お金はなくともハンバーガーのお釣りは返すし、男を転々とするわけでもなく、やはり「漂流」という言葉は近いのかもしれない。何もないから、何もできないから、何者でもないから、自由であるとも言える。