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男はつらいよ 寅次郎真実一路のbluetokyoのレビュー・感想・評価

3.8
男はつらいよは、この作品で、もとに戻った。マドンナは、二回目登場の大原麗子さん。マドンナの相手役には、なんと、米倉斉加年さんである。米倉斉加年さんは巡査役で、ちょくちょく出演しているので、準レギュラーといってよい。慣れた俳優さんで固めたというところか。おかげで、いつものように、まとまったいい作品に仕上がっている。
いつもは、マドンナが、寅さんの放浪旅生活に幻惑されてしまうのだが、今回は夫(米倉斉加年さん)の方が先に幻惑されてしまう。

この映画を見終わって思い出したことがある。もう20年ぐらい前だろうか。自分は、大手町の近く(大手町ではない)の会社に通勤していた。大手町のサラリーマンすげえなあ、と思いながら。ある夜、帰り道、道路の高架下の塀沿いに、スーツ姿のサラリーマン氏が段ボールを敷いて正座していた。脇にはマンガ雑誌がきちんと積み重ねられていた。なにやってんだろうと不思議に思ったが、そのときはそのまま素通りした。次の夜もその次の夜も、そのサラリーマン氏は、じっと座ったままなのだ。さらに一週間ぐらい、ずっとそのままなのだ。髪は乱れてくるし、髭は伸び放題なので、顔は黒ずんでくる。スーツもヨレヨレな感じになってくる。しばらくして、いなくなったみたいだが、実際、どうなったかわからない。
どう考えても、会社から出てきて、そのまま、帰宅せずに、ドロップアウトしたように思えるのだ。暗澹とした嫌な気持ちになったものだ。

寅さんが、上野の居酒屋で呑んでいる。相手は、ひょんなことから知りあった、富永健吉さん(米倉斉加年さん)というサラリーマンである。

寅さんと富永健吉さん、大いに盛り上がり、けっこう、遅くなってしまったので、寅さんは、富永健吉さんの自宅に泊まることになる。
富永健吉さんの自宅は、上野から常磐線に乗って、牛久沼というところ。

翌朝、富永健吉さんは、朝6時に家を出て会社へ。
ロケ地は、牛久沼、森の里団地(住宅棟の団地ではなく、一戸建ての住宅地)らしい。そこからだと、最寄駅は牛久駅となる。バスで15分。牛久駅から上野駅までは1時間ぐらい。とすると、富永健吉さんが会社(証券会社なので兜町あたりかな)に着くのは、8時ぐらいか。始業時間が何時かわからないが課長なので、そのぐらいが妥当かな。

寅さんは、富永健吉さんの妻、ふじ子さん(大原麗子さん)に見送られながら、帰途に着く。

とらやに帰ると、寅さん、ふじ子さんが、あまりに美人だったので、きれいな奥さんがいる生活を皆に語って聞かせる。曰く、ずっと四六時中、きれいな奥さんを見詰めている、という感じだ。

それを聞いていた博さん、おいちゃんは反論する。

問題があるな、その考え方には。第一どうやって食っていくんだい。
ということだ。不労所得者でない限り、実際、無理だ。富永健吉さんでなくとも、多くの人にとって、朝早くに会社に行き、夜遅くに帰宅する。それを毎日やり続けなければ、生活は維持できないのだ。

ところが、寅さんの幻の声をきいたのかどうか、富永健吉さん、通勤途中、頭がおかしくなってしまう。グラグラと地面が揺れ、眩暈のような感じだが、なんとか、喫茶店に入って落ち着く。だが、もうダメなのだ。
会社に行くことを放棄して、そのまま、タクシーに乗ってしまった。

それはそうだ。あんなにきれいな奥さんがいても、出勤日であれば、ほとんど顔を見る時間もない。土日祝日は、疲れてぐったり。あるいは、ゴルフに駆り出されてしまう。愛妻家であれば、なおさら、耐え難いことだろう。

夫が失踪してしまったので、ふじ子さんは困ったことになる。会社に行ったりするが手掛かりはなし。うなだれて自宅の最寄駅からとぼとぼと歩いて帰る途中、なんと、寅さんがいるのだ。

自宅で、寅さんに、夫の失踪を告げ、夫は、浮気していないかと聞く。

寅さんは、即座にそれを否定するわけだ。
寅さんは、ふじ子さんを励ますために、リップサービスとして、そういうことを言ってみたのだろうか。寅さんにそんな腹芸ができるとは思えないのだけど。

ここで、実は、もっとも重要なことがある。セリフにもないし、シーンにもない事柄だ。
つまり、寅さんと富永健吉さんは、居酒屋で、どんなことを話したか、ということなのだ。呑み明かしたぐらいなので、かなり突っ込んだ話をしたはずだ。この、空白部分を見る人に想像させるわけである。

とらやで、寅さんが、もし、奥さんがきれいなら、四六時中、ずっと見ている、と話したはずだ。その話は、間違いなく、富永健吉さんが居酒屋で寅さんに語ったことなのだ。さらに、それができない辛さも語ったはずだ。

対して、寅さんは、例によって、日本中を、たとえば、冬は寒いので暖かい西日本、夏は暑いので、涼しい東北や北海道、という具合に、あちこち、旅して暮らしていて、暇だけはたくさんある、というようなことを語ったはずである。
もちろん、酒の席なので、それでは、生活が成り立たない、なんて野暮なことは言っていない(冷静に考えれば、普通に察しが付くはず、とも思っていることだろう)。
ところが、富永健吉さんは、あまりに思い詰めていたので、寅さんの言葉を真に受けてしまった可能性はあるわけだ。

とらやに帰った寅さん、とらやの売上金をしまってある金庫を奪い取って、富永健吉さんが、どっかで、途方に暮れているに違いないから、カネをよこせと、騒ぎを起こす。
寅さんとしては、自分の言葉が、富永健吉さんの失踪を導いたのでは、と責任を感じているから、そういう行動を起こしてしまったわけだ。

ここで、博さん、富永健吉さんに万一のことがあった場合、ふじ子さんのことを考えた方がいい、というようなことを言う。寅さんはそこで、富永健吉さんは、旅に出るから、ふじ子さんのことはよろしく、ということかな、と解釈するわけだ。

そんなことをやっているうちに、ふじ子さんのもとへ、富永健吉さんの故郷、鹿児島県枕崎で、富永健吉さんを目撃したという情報が届く。

ということで、ふじ子さんと寅さんは、一路、鹿児島県枕崎へ。

探し回った挙句に、なんと、富永健吉さんの泊まった旅館を見つけるのだ。
しかも、宿帳に、「車寅次郎」という署名をしている。
つまり、富永健吉さんは、寅さんになりたかったのだ、ということが、ここで、明かされるわけである。

ふじ子さん、この枕崎での旅路、当初は深刻な感じだったのだが、鄙びた田舎の風物に接するにしたがい、なにか、ほっとした感じになっていく。
ここらへんの表現が本当に上手い。サラリーマンの日常の生活の重さが、徐々に軽くなっていく感じなわけである。

寅さんとふじ子さんとの旅路こそが、富永健吉さんの望んでいたことなのだ。

寅さんは、ふじ子さんの泊まる旅館には泊まらなかった。ふじ子さんが、なんで? と聞くと、寅さんは、オレは、汚ねえ男だから、と答える。

どういう意味かというと、寅さんは、富永健吉さんに、自分と同じような放浪旅生活をしていれば、生活が成り立たない、ということを言わなかったので、富永健吉さんの失踪を引き起こしてしまった、ということの責任を感じているわけである。
放浪旅生活は、孤独な甲斐性なし、と引き換えなのだ。

結局、富永健吉さんを見つけることができずに、寅さんとふじ子さんは、帰ることになる。

帰ったあと、寅さんは、責任を感じて、ふさぎ込んでしまう。

博さん、曰く、あの奥さんに恋するあまり、蒸発しているご主人が帰ってこないことを願っている自分に気づいてしまった。(だからふさぎ込んでいる)
というのは、ミスリードである。なぜなら、博さんは、寅さんの、脳天気に、とまでは思わないだろうけど、放浪旅生活は、楽な生活、と思い込んでいるのだ。
実際の、寅さんの旅は、孤絶した、寂しい旅なのだ。それを知っているのは、さくらさんとリリーさんだけである。

そこへ、ひょっこりと、富永健吉さんが、とらやに現れるのである。

どうして、帰ってきたのかというと、単純に、寅さんのような、放浪旅生活では、生活がまったく成り立たないとわかったのである。やってみて、わかったということか。

寅さんは、すぐに、気付いて、富永健吉さんを、牛久沼の自宅へ連れて行く。泣きじゃくりながら、ふじ子さんが、富永健吉さんに抱きつく。

富永健吉さんが、なぜ、自宅に直接帰らないで、とらやに来たのか、あるいは、寅さんに会いに来たのか。富永健吉さんが、ふじ子さん、子どもとの、一戸建て住宅での生活を維持するためには、サラリーマンをやるしかない、ということに、いまさら、気付いたことが、恥ずかしかったのだ。というよりも、寅さんと出会ったことで、魔がさしたのだろうけどね。

タイトルになっている、「真実一路」、これは、富永健吉さんの自宅に掲げてある額の中の詩である。

真実諦めただひとり  真実一路の旅をゆく  真実一路の旅なれど  真実鈴ふり思ひだす

これはもちろん、富永健吉さんが、思うことを額に収めたのに違いない。真実というのは、ふじ子さんとの生活。ときに、その道から外れても、巡礼のすずを振ったとき、そのことを思い出す。といったことか。富永健吉さんのサラリーマン生活の決意みたいな感じかな。

後日、年賀状によると、富永健吉さんは、勤務地を土浦の支社に変更してもらい、通勤時間を少なくしてもらったらしい。

寅さんは、富永健吉さんが帰宅したことを見届けてから、帰るが、とらやには、もう、帰らないで、その足で旅に出るのだ。

さくらさんには、電話を掛ける。さくらさんにも、寅さんが、帰らないで旅に出るとわかっているのだ。(みなに理解されなかった、ということで、とらやには帰らなかったのだろう)

夜中、冷たい北風に吹かれながら、誰もいない駅(土浦駅)に向かう寅さんのなんと寂しい姿だろうか。
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