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ファニーとアレクサンデルの一人旅のネタバレレビュー・内容・結末

ファニーとアレクサンデル(1982年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

第56回アカデミー賞外国語映画賞。
イングマール・ベルイマン監督作。

20世紀初頭のスウェーデンの地方都市を舞台に、劇場を経営するエクダール一家が送る数年間を綴ったドラマ。
5時間を超える大作で7つのパートに分かれているが、ベルイマンの他作品と比べ娯楽性も高く、物語も比較的明快なので過度に気構えて観る必要はなかった。
前半はクリスマスムード漂う、喧騒と幸福の入り混じったような明るい一家の物語が展開される。だが父が病で死に、敬虔なヴェルゲルス主教と母の再婚から始まる後半の物語は前半の雰囲気とは一転、幸福とはかけ離れた陰鬱なものとなる。神と信仰をテーマにしてきたベルイマンだが本作でもそれは健在だ。主教は救いを見出すための信仰に執着するあまり、今掴みかけている幸福への手がかりを見捨て、母と2人の兄妹(ファニーとアレクサンデル)を信仰の呪縛にかけてしまうのだ。厳格な規則の遵守と質素な生活を強制し、アレクサンデルが罪を犯した際には鞭で打ったり、屋根裏に閉じ込めたりしてしまう。鞭打ちの様子をあえて映さずに音だけで表現する演出はハネケ的残酷さと恐怖を感じる。音による演出では他に、父が死んだ際の母(エヴァ・フレーリング)の断続的な叫び声が悍ましい。主教は前妻と自身の子どもを事故で亡くしているから、それをきっかけに神による救いをより一層切望したのかもしれない。そう考えると主教にも一定の同情の余地はあるが、今ある幸福を犠牲に生活の全てを信仰に捧げようとする姿勢はベルイマン的に言わせれば本末転倒なのだ。本作を観て改めて感じたが、ベルイマンの信仰に対する捉え方は非常に人間寄りで、前提として信仰の前にまず人間がある。生きていく中で浮き沈みがあるのは当然のことで、神への信仰の度合いでそれがどうにかなるとかの話ではない。“悩むより楽しめ”というベルイマンからのメッセージそのままに、肩肘張らずにありのままの人生を受け入れる覚悟が求められるのだ。それは生きる上での喜びや幸福だけでは決してなく、悲しみや不幸も内包している。救いだけを求め続ける主教の信仰は人間のエゴ以外の何物でもなく、ますます幸福から遠ざかっていく一方だ。そのことに気付けない主教は哀れに映り、結局は唯一の魂の解放手段としての“死”に迎えられてしまうのだ。
一方、母と兄妹は最終的に信仰の虚偽に気付き、主教の元を離れ元の鞘に収まる。一家揃って集合写真を撮る終盤の場面ではそれまでの信仰臭さは微塵も感じられなくなり、愛し合う家族だけが画面に映し出される。さながら人間賛歌・人生賛歌のようなワンシーンで、柔弱な精神に変容しがちな人間に対するベルイマンの限りない慈愛の眼差しを感じさせる。
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