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ファニーとアレクサンデルのryo0587のレビュー・感想・評価

ファニーとアレクサンデル(1982年製作の映画)
3.0
長かった。。。この長さも含めて貴重な映画体験。と思いたい

ベルイマンの集大成と言われるのは、それまでに取り扱ってきた宗教(神の存在証明)老境や死の床に至って振り返る人生、結婚、家族、虚飾と真実といったテーマやモチーフが取り上げられ掘り下げられているからかな。

外界に連れていかれた家族を再び取り戻す話で、劇中でも語られるように外界の存在敵役の主教しか登場しない、とても小さな世界での話。主教側も家族として登場するので家族間の闘争の話でもある。
アレクサンデルがほぼ語り手であり、ファニーは背景化していて存在感薄い。それでもタイトルに冠したのは何故だろう?

以下は章ごとのメモ

『プロローグ』
屋敷内で隠れんぼするアレクサンデル
動く銅像と死神のイメージ『第七の封印?』アレクサンデルの豊かな感受性・霊感の示唆

『エクダール家のクリスマス』
エクダール家の登場人物(主に大人達)
各兄弟三者三様の夫婦模様
オスカルは家族思い、カールは借金で落ちぶれ妻とは共依存的、グスタフは妻公認で愛人がいる好色

屋敷内は赤が貴重

『亡霊』
ハムレット
オスカルの死
白黒、青が基調になる
病床のオスカルに寄り添うエミリー、2人の顔のクロースアップ
人前では平静だったエミリーが深夜に一人慟哭する場面→『叫び』と『ささやき』

劇場と人生のメタファー
→人前では皆が(仮面を被って)役を演じているが幕が降りた舞台裏で真実が吐露される

『崩壊』
神に仕える聖職者が自由を奪う物語上の障害として登場
家族からの離反
白基調
仮面=劇・役=虚飾のモチーフ

『夏のできごと』
聖職者が物語上の障害になる構図
弱者を抑圧する法と権威への批判?

『悪魔達』
聖職者が障害なら救いの手を差し伸べる人々=悪魔達という対比か
だらしなさしか見せてなかったカールとグスタフの頼れる一面

救い出されてたどり着く部屋が真っ赤でこれも対照的。

物語の帰着が聖職者の焼死。
救いは神の意志によるものじゃない?

『エピローグ』
ベルゲルスの亡霊の『逃げられんぞ』の一言が不穏


一家という小さいコミニュティ内での話。
外界は登場せず
顔のクロースアップ、奥行きを感じさせる構図

※パンフレット読後追記
アレクサンデルの境遇やベルゲルスとの対立はベルイマンの生い立ちや実感がもとになっているんだなぁ
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