アむーレ

砂の器のアむーレのネタバレレビュー・内容・結末

砂の器(1974年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

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ある日、蒲田の国鉄操車場で殺人事件が起こる。
被害者・身許不明。容疑者不明。ある飲食店で店員が聞いた「カメダ」というワードが唯一のヒントとなる中で、新進気鋭のあるひとりの音楽家が捜査線上に浮かぶのだった…
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冒頭、見始めたときにはよくある刑事ドラマのようなサスペンス映画なのかなと思ったけれど、観終えると印象は一変。刑事が主役ではなく引き離された親子の宿命を描いた愛情物語でした。

もちろん、少ない手がかりから捜査を進めていく中で徐々に見えてくる真相というのも面白いのだけれど、それと同時に明らかになっていく音楽家が作った「宿命」という曲の意味…それが何を表現したものだったのかそこに何を思い浮かべて出来上がった曲なのか…刑事が語る捜査から判明した事実と音楽家の脳裏の映像が一体化していたのが良かったな。

あえて理由は描かれていないが、音楽家の父親が息子の写真を見たときに「こんなやつ知らねぇ」と泣きながら叫んだのはなぜなのか?
会いたくてたまらないはずなのに知らないと拒んだ理由がよく分からなかった…
ハンセン病に対する偏見や差別がある時代背景から会いたくても会えないからだったのかな…

それと、殺人が起きたあと、容疑者である音楽家の愛人が被害者の血が付着した布を切り刻んで電車の窓から捨てた理由…これもなぜ本人ではなくて愛人がしなければならなかったのか。なぜこの愛人はこんな殺人を犯した男を庇い、別れても良いから子種が欲しいとねだったのか…?

そもそも三木に会い、父親と会うことを説得された音楽家はなぜ三木を殺す必要があったのか、とても謎。
これももしかしたら息子は本音は父親に会いたいけど社会の偏見がある以上、ハンセン病患者の父親に会いに行くということ自体が出来ない選択肢だったのかな。
でも三木を殺すまでしなければならない理由は…?

その動機の部分が想像できる程度までもう少し犯人の心情を描いてほしかったのが物足りない部分でした。

しかし、映像・脚本・音楽が見事にマッチした重厚感ある人間ドラマだったと思います。
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