きし

キートンの大列車追跡/キートン将軍/キートンの大列車強盗のきしのレビュー・感想・評価

4.1
 初無声映画、初活弁。まずは映画の感想から。
 喜劇映画としてものすごく完成度が高い。つまりずっと笑える。下手に悲しい展開など入れず、ずっと馬鹿馬鹿しい。それも話の筋ではなく、素っ頓狂であり間抜けであり愛すべき滑稽さ満載のバスターキートン始め役者陣の動きや仕掛けで笑える。当然無声映画であるため彼らに声はない。その分笑える。声があるだけで映画を読み解こうとする意識が芽生えるのだろう、自然と筋を読解し始めるのかもしれない。ダイナミックな仕掛けにアクロバティックなスタンドで何も考えずに驚き、笑えるのだ。反射神経で映画を見ているような新しい体験だった。
 アップリンク吉祥寺で見たアリスギイのドキュメンタリー映画の中で、彼女が手がけた最古の喜劇映画(無声)を見た。前後に彼女の知られざるフィルムの復元に携わる人たちのインタビューがあるのだがそれが煩わしかった。僕はドキュメンタリーのようなお堅いものには向いてないノンアカデミックなのか?と自信を喪失していたが、そうではなく、頭の切り替え、神経の切り替えを余儀なくされて疲れていたんだと思った。アリスギイの反射神経的に笑えるものに対し、いきなり文字や声が耳に届くと脳の別部分が発動される感覚。
 では活弁はどうか?彼らが一つの映画に2人ついて会話しだすとこれは普通の映画の如く、文脈を理解させる脳が発動してしまうだろう。活弁はフィルム内の人物と同時に話すことが少なく、少しズレて話出す。感覚としては無声映画のフィルム内で口パクする彼らの言葉を脳内でこれまた反射神経的に想像している、この言葉に声を当てているような感覚。たしかにそう言ってるよね!という脳内に活弁がいるようなそんな気にさせる。だからこそ想像内で鳴っている声を当ててくれないと気持ち悪くなってしまう。
 映画における声の役割が面白く解釈できた、良い映画体験だった。
 活弁士、片岡一郎さん、覚えておこう。どうして、面白かったです!と声をかけられなかったのか、、、一瞥しただけで緊張してトイレに駆け込むとは、、、なんと情けない、、、
きし

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