SANKOU

惑星ソラリスのSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

惑星ソラリス(1972年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

黒澤明監督がタルコフスキーは水の描写が上手いと語っていたが、確かに冒頭にある底まで透けて見えるような小川の描写がとても綺麗だった。
とても難解というわけではないのだが、とにかくひとつひとつのシーンを丁寧に長く描いているのと、あえて視覚化しないでこちらの想像力をかきたてるような演出が多いので、観ている側も常に思考を働かせていないとなかなか世界観に入り込めない。
この映画の主人公クリスは、かつてソラリスを探索したバートンが、そこで起こった事を証言する様子を録画した白黒のモニターを見つめる。
彼の身に起こったことは画面には映らないのだが、霧の中を巨大な赤ん坊が彼の前に現れたと淡々と語る彼の証言がかえって生々しくて、頭の中にその映像が浮かんでくる。
彼は幻覚を見たのではないかと他の科学者は彼の精神異常を疑うが、それを否定することも立証することも出来ない。
やがてクリスもソラリス探索のために宇宙ステーションへ向かう。
そこではスナウト、サルトリウス、ギバリャンと三人の科学者が既に研究を続けているはずだった。
しかし、クリスの知り合いであったギバリャンは自殺しており、ステーションの中は殺伐とした空気に包まれていた。
そして彼は本来いるはずのない人間が歩いているのを目にする。やがて、彼の前に10年前に亡くなったはずの妻が現れる。
過剰な演出はないのだが、何気ない描写が恐怖感をあおる。自殺したギバリャンの部屋のドアに描かれた首に紐をくくりつけられた人間の絵、そして散らかり放題の部屋。
ソラリスは人間の思考を読み取ろうとして、その人間の中にあるイメージを具現化する。クリスの前にはそれが最愛の妻ハリーの姿をして現れた。
純粋なソラリスの探求心から産み出されたハリーもまた純真無垢な存在だ。それがかえって不気味な印象を与える。
妻がこんな場所にいるはずがないと頭では分かっていても、彼女の姿を前にした彼は動揺を隠せないし、彼女を退けることも出来ない。
具体的に描かれてはいないが、彼女はどんなに殺そうと傷つけてもたちまち元に戻ってしまうらしい。実体はあるが、あくまでソラリスが作り出したイメージに過ぎない。
彼女をロケットに乗せて宇宙に放つも、当然のように戻ってくるのがおかしかったが、その後のクリスと離れたくない純粋な気持ちから、扉を破壊して血まみれになって現れる彼女の姿にはやはり恐怖を感じた。
やがて、任務も忘れ彼女と一緒に過ごす時間に心を奪われていくクリス。ソラリスはクリスに近づくことによって徐々に人間を理解するようになっていく。
ハリーも自分の頭で物事を判断出来るようになっていく。自分はもうすでに亡くなってしまった彼の妻だということも自覚していく。
人間らしくなればなるほど、次第に情緒不安定になっていくハリー。不自然な純真さを持っていた以前の彼女に比べれば不気味さはなくなっていくが、スナウトはこれはあまり良くない兆候だと言う。
液体酸素を飲んで自殺したハリーが、やがて息を吹き返すが、痙攣しながら復活していく彼女の姿はやはり恐ろしかった。
クリスの精神も疲弊していく。夢の中での母親との邂逅、そして妻を自殺に追いやってしまった自責の念。目が覚めた時に、ハリーの姿はなかった。スナウトは彼女に頼まれて、彼女の存在を消滅させたとクリスに告げる。クリスの思考が送り込まれたことにより、ソラリスの海は形を変えていく。
より人間の心を知ってしまったために、ハリーは最後自らの命を断つことでクリスを苦悩から救おうとした。
一言では言い表せない壮大な作品だが、愛と良心が大きなテーマなのかなとも思った。
ハリーの消滅によって地球に戻り、ソラリスから解放されたと思われたクリスだが、父親にすがりつく彼の周りを海が囲んでいるラストの描写で、彼がソラリスに飲み込まれてしまったのだと分かり衝撃を覚えた。
永遠と続くかのような東京首都高を走る車の映像や、無重力の中を浮遊するクリスとハリー、猟犬と銃を携えた男たちが雪山を歩く画の描写など、目に焼き付くシーンがとても多かった。
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