三四郎

アメリカの悲劇の三四郎のレビュー・感想・評価

アメリカの悲劇(1931年製作の映画)
1.0
ホテルのボーイをしている時にドアにくっつき聴き耳を立てたり、友人が轢き逃げした車に乗っていたが「面倒はごめんだ」とさっさと別の街に逃げるなど、最初から最悪な男だ。
工場で働く純情な田舎娘に手を出し、付き合い始めたものの、彼女が部屋に入れてくれないと機嫌が悪くなり冷淡に振る舞うのも最低だ。上流階級に取り入ろうとするところがまた嫌らしい。道徳心がなく、嘘つき。同情の余地無しといった感じだった。

この作品は、文学の映画化だということを観終わった後に知った。
小説の方は、1906年のジレット・ブラウン事件をモデルに、環境と本能に支配される人間の悲劇性を見つめ、物質的成功への夢を無責任に煽るアメリカ社会を批判したアメリカ自然主義文学の代表的作品とのこと。
1931年の映画だが、サイレント映画のように冒頭に作品解説が入り、途中途中に、やはり季節の字幕説明が入る。サイレントから抜けきれていない駄作のように思う。内容も演出も全体的に造りが古臭い。同時代の映画と比べても古臭いと言えるだろう。

上流階級のお嬢さんと恋仲になったり、邪魔になった元恋人をボートで湖に連れ出して殺したり…映画を見ながら、同じストーリーの映画があったような気がしていたが、それは、1951年の『陽のあたる場所』だった。『陽のあたる場所』も、大学時代に憤慨しながら観た記憶があるので、どうも私はこの作品のストーリーが嫌いなようだ。

救護所を経営し貧しい人を救おうとしながら、息子一人さえ満足に育てられないこの矛盾。どうも隣人愛や博愛主義には[偽善]を感じてしまう。自分を愛するからこそ人を愛することができ、自分が幸せであれば周りの人も幸せ、人生はそういうものではないだろうか。

フランシス・ディー目当てで観たわけだが、やはり彼女はスクリーンには映えない女優さんだ。不思議なことに写真で見ると美人だが、映画ではインパクトに欠け、至って平凡だ。エキストラとして出ていても気づかないだろう。本当に謎。
主演のフィリップ・ホームズはかなりのハンサムボーイだが、表情がなく、ハリウッド俳優にしては固く冷たい感じがする。こういう作品だからあえて素人っぽい演技なのか、それともただ演技が下手なのか。
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