ブタブタ

FAKEのブタブタのレビュー・感想・評価

FAKE(2016年製作の映画)
1.0
参考
【NHKスペシャル 魂の旋律~音を失った作曲家~」】
神山典士『ペテン師と天才』

新垣隆『音楽という《真実》』

古賀淳也『魂の旋律 佐村河内守』

こうやまのりお『みっくん、光のバイオリン』

須田桃子『小保方晴子・捏造の科学者』


【以下全て敬称略】
麻原彰晃の「宗教」小保方晴子の「科学」亀田の「ボクシング」そして佐村河内守が使ったのが「音楽」と言う事だったのかと。

「どちらが悪いとは言えない」←いや、佐村河内が悪いでしょう。
「真実とは曖昧なもの」←真実の前に曖昧にしたいのは佐村河内でしょう。
「ラブストーリー」←( •́ .̫ •̀ )...

才能の有り無しに関わらず、何かを創作したい発表したいのではなく、有名になりたいチヤホヤされたい「先生」とか呼ばれたいの方が先に立ってそれを実現するにはどうするか、必死に努力する方向が根本的に間違っており、その為に自分が利用出来る人間を探す、それが新垣隆であったり義手の少女であったり、障害者(程度の軽い重いはともあれ)である事を利用したりと、とにかくこの佐村河内守と言う人が、その自己プロデュースに長け人を引きつける魅力や楽しませる、一般大衆に受けるモノは何だろうとか、普通にクラシックを演奏するだけじゃ受けないからそこに色んな「設定」を作り上げてそれを実行する努力や、それは既に才能と言っていいとは思うのと同時にやっぱり嘘は嘘なんだし、ちょっと思ったのは佐村河内守と新垣隆のユニット(?)は電気グルーヴに似てるな、と。
音楽制作担当は石野卓球、その他プロモーション、電気グルーヴの存在を世に知らしめる宣伝活動は殆ど全てピエール瀧が担っている、ので音楽担当の新垣隆とその他プロモーションの佐村河内守ですって最初から言ってればこんな事にはならなかったのに。
でもそれでは佐村河内って人は満足出来なかったしそれじゃダメだったろうし意味なかったのでしょう。

マスコミやTV局がいくらクソだからってその分自分が底上げされて何か罪が軽くなるとか、それどころか自分は何か身に覚えのない罪を背負わされてる聖人か何かだと勘違いしてるのか。
それはかつて、難聴かもしれないけど本当は聴こえてるのに全然聴こえないって嘘ついて、現代のベートーベンとかいって悦に入ってた嘗ての自分と今も何ら変わらないし人間そんな直ぐに変われないしこの人は一生このまま「何が真実か分からない」とかいって詐欺師の人生を全うするしかないのだろうと言うのが正直な感想です。

あーもー嫌いだなーやだなーこーゆー人間本当に心の底から大っっっっ嫌い前売り何か買うんじゃなかった(笑)

雑誌でポーズを取る嘗ての相方(?)を苦々しい気持で見やる佐村河内。
畜生全部俺のおかげなんだぞ、お前さえ黙ってりゃ何もかも上手く行ってたのに。
と言う心の声が僕の心(笑)には聴こえてきます。
この映画を見たくらいで今度は佐村河内の味方になり、新垣隆を攻撃したり馬鹿にしだす人間は自分の意思って物が無いのでしょうか。
別に新垣隆のファンではありませんが。
佐村河内にしてみれば自分が苦労して築き上げたモノをそっくりそのまま新垣隆に掠め取られてしまった気分でしょう。
あの会見は内容と言い新垣隆のそのキャラクターと言い最高としか言えませんし、全て計算し尽くしてここぞと言うタイミングで決行したとしたら見事としか言えませんし、だとしたらもう佐村河内守は新垣隆にそもそも音楽の才能もしたたかさも足元にも及ばないと思うのですが。

話しは少々変わって、ベッキーはどうしてあそこ迄叩かれるのか?
自分はベッキーファンでも何でもないのですがベッキーというタレントと言うより、その「存在」はドラえもんやサザエさんの様にいつもTVの中に当たり前の様にいてこの先もそれが変わる事はないと思っていました。
あんなにいっぱいいたベッキーファンは一体何処に行ったの?
と思いつつその答えはとっくに出ているので言ってて空しいのですが、皆の好きだったベッキーは川越シェフ系統の気持ち悪い顔の男に関わる前のベッキーで、あの時点を持ってベッキーはもう死んでしまったに等しいのでしょう。
ファンが望む「ベッキー」とは例えば結婚一つとってもEXILEとかジャニーズの誰か適当な相手と(間違ってもIT企業社長とかじゃない)と結婚して皆に「オメデトー*(^o^)/*」と祝福されてママタレントとかになってこれからもずっとTVの中で生きていく存在。
なので皆が好きだったベッキーを完全に殺してしまった今のベッキーをファンであればある程許せないのだと思います。
マーシー(田代まさし)の盗撮が発覚した時、もしあれが不倫とかだったら別に何の問題もなく仕事を続けていたと思います。
ベッキーの相手や芸人や落語家やファンキーが干されもせず平気な顔して仕事を続けているように。
なぜ同じ事をしても非難され仕事を干され全て失ってしまう人となあなあで済まされてしまう人がいるのが、物凄く不公平だし納得出来ません。
とまたまた言いながら、その答えは(納得出来ずとも)何となく出ていて、許されるか許されないかは結局それを見る世間やこの社会の持つ意味不明なルール、男女の性別の違いやマスコミの叩き具合、叩いてもいい相手と叩く需要がない相手、その他諸々。
そして散々叩いた挙句、今度はバラエティ番組で道化の役を演じさせる為に引っ張りだそうとする。
佐村河内に関してはめちゃイケとか下らないバラエティ番組からオファーがあったみたいですが、もし出ようとしても自分が作ってしまった耳が聴こえないと言う「設定」があるから会話や反応のスピードが要求されるバラエティ番組への出演はとても無理でしょう。

自分はマーシーの大ファンでしたが正直あの時ショックだとか彼を許さないとか反省して復帰して欲しいとか思えませんでした。
それよりも「もうダメだ」と思いました。
案の定彼を何とか復帰させようと志村けん、ダウンタウンやナインティナインが自分の番組に出したりしても皆腫れ物に触る様で気まづい空気が流れるだけ、事件以前のマーシーには二度と戻る事はないし何をやっても無駄だと思い知らされただけでした。
(話がややそれました)

『FAKE』を見て「夫婦愛」とか「真実は誰にも分からない」とか言ってる人は騙され易い人で「STAP現象は独の大学で確認されている。小保方晴子は米利権に潰された」とか言うデマ記事をあっさり信じちゃうタイプなんでしょう。
佐村河内守のドキュメンタリー。
感想は「で?」としか思えません。
『ペテン師と天才』を読んだ事も大きいと思いますが「1杯のかけそば」とかこの手の話しは本当に昔からあるし、自分が佐村河内守の事を知ったのは新垣隆のゴーストライター告白会見以後なので「騙された」とか「感動を返せ」とかは全然思わないのですけど、あの事件は大きい声を出す方が常に勝つと思ってるDQNヤンキー体質の詐欺師佐村河内守とそれに逆らえないオタク・研究者体質の音楽家新垣隆と言う図式で捉えているのですが、世間や金といった事に余り関心がない「音楽バカ」である新垣隆を使って上手いことやった佐村河内守に対する嫌悪感がどうしても強くていくら酷い目にあってようと「で?」としか思えなくて、会場は爆笑に包まれるシーンも多々ありましたが純粋に面白いと言うより自分は「(´・∀・`)ザマミロバーカ天の裁きジャー」と言う非常に歪んだ意地悪で心の狭い了見で初めから見ていたり笑っていたりして、見終わった後自己嫌悪したりして見なきゃよかったかなと思う事しかりでした。

現代のベートーベンとやらが問題だったのはもう何度も何度もウンザリする程聞かされてる事ですが人の作った物を自分が作ったと嘘をついてた事、もう単純にそれに尽きると思うのですが。
どんな理屈を捏ね回しても佐村河内の言い分が正しいなんて事にはならないと思うのですが、世間にはそうは思わない人も沢山居るみたいで。

アレ(音楽を含めた障害者・嘘の芝居・プロモーション)をプロデュースした佐村河内守の事を「共同制作者」だった新垣隆がそれをばらしてしまったこと。
バレさえしなければ今もあの人は薄暗い変な茶室みたいな部屋で「音が降りて来な~い!」とかいって壁に頭ガンガン打ち付けてただろうし「障害者」「被災地」は格好のプロモーションの材料だからこの前の震災も絶対利用していただろうし、「みっくん」に代わる新しい「スター」を何処からか見つけ出して連れてきて見世物にしていただろうし。

ヤラセや作り物、似たような話しは本当にいっぱいあるし、
昔「椎名桜子」と言う出版社で作ったヤラセ作家とか、何とか賞をとった絢香の旦那(もう名前忘れ)のゴミみたいな小説とか、ボクシングの亀田とかもそうだと思います。
実力もない、実際大した事ないのにさも凄い人物だとか作品だとか本人やTV局や団体の力やウソで塗り固めて売ろうとしてもいずれ又は直ぐにバレる。
佐村河内守に関しては、その音楽の部分に関しては人が作った本物で後はどう売り出すかが問題だった。
で、売り出しは成功した物のまさかの落とし穴が待っていた。

レディーガガだって普段は普通の人らしいですし、耳が聴こえていようがいまいが被爆2世とかそれが本当か嘘かは自分はどうでもいいと思うのですが、人が作った物を自分が作ったと嘘をついていてそれがバレた時点で完全に終わりでしかないのに、まだ佐村河内もこの監督もウダウダやってんのか?としか思えなくて。
新垣隆の次は森達也を使って何がしたいのか?

『NHKスペシャル』で出て来た佐村河内守のスケッチブック、頭の中に響く音を書き写したと言う触れ込みの音符や5線?でゴチャゴチャと埋め尽くされた「絵」
ジャクソン・ポロックのアクションペインティングを思わせると書いてた方がいましたが、あれは一種のアウトサイダーアートと言えるのではないでしょうか。
自分が佐村河内が作った物で又見たいと思った唯一のモノなので、アレが登場しなかったのは残念です。

しかし、全ての茶番が終わった後でもこの手の人種は基本的に出たがりであるから誘いがあればまたノコノコと世間の前にアホ面を晒すし、ボクシング亀田が「何が家族愛だ」とか嘗ての嘘を自分でくさす、みっともない真似をしてるかと思えば小保方晴子は瀬戸内寂聴と写真に収まって「科学に失恋した」とか意味不明なストーリーを垂れ流してる。

本当にもういいからお前ら全員引っ込め。

追記
あの2人の関係はどうしても『ファントム・オブ・パラダイス』のスワンとウィンスローに見えてしまって映画では二人共に破滅しましたが、現実の方ではペテン師は破滅しファントムの大勝利で終わりました。

【以下ネタバレ】












ラスト12分とやらの煽りもシンセ使って曲作るくらいの事昔売れないバンドマンだった佐村河内なら出来る事でしょう。
出来不出来はともかく。
ブタブタ

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