教授

モスラ対ゴジラの教授のレビュー・感想・評価

モスラ対ゴジラ(1964年製作の映画)
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ゴジラシリーズ4作目。

まずシネスコ画面の豊かさと巨大感。ひとつひとつの画面の美しさ、構図にうっとりする。
「映画」の全盛期の豊かさを堪能する。
小さなテレビ画面ではやはり再現できないが、それでもひとつひとつの画面づくりに感動。

と同時に初代ゴジラ誕生から10年。
もはや戦後ではなく高度成長の日本。繁栄とともに拝金と搾取。
シニカルな作劇に恐ろしさすら感じる。
現代日本の根っこの不気味さがもう既に芽吹いている。

金への執着。膨れ上がる資本主義によって人間性の描写。
レジャー開発と水爆実験。
南洋の自然破壊によって奪われる人々の生活。
根っこには恐ろしくシリアスで、ドキッとする描写に溢れている。

一方で、時折目立つ緩い描写、淡白な描写に驚いてしまう。卵を返してもくれず、自分たちをも見世物にしようとした現代人たちに対して、かなり早い段階で「帰る」と言い出した小美人のドライさには爆笑してしまった。
所謂、ツッコミどころ、というのもシュールに映るが実は生真面目につくっているが故の愛嬌として映る。

当時のテクノロジーの限界として、どうしても合成が上手くいっていないところや、物語の時間経過が混乱するところも散見。欠点も多い。

しかし、20数年ぶりに観直してみて、現代批評的な鋭さと、画面の美しさ、そして、当時は読み取れなかった、古代の神秘と現代の科学によって未来に進もうというメッセージか隠されていて、そのことに驚いたし感動してしまった。
これは、自衛隊のA作戦ならびにB作戦の描写で展開する。
即ち。本作で初めて自衛隊による攻撃が効果を発揮するのである。そして、その千載一遇のチャンスさえも「調子に乗って」フイにしてしまう描写が憎い。
しかし、確実にここでゴジラの体力を奪い、後のモスラ幼虫とのバトルで効いてくるのである。

つまり。文明、科学と古代、自然の対立が前半に描かれ、しかし、文明や科学の側である現代の日本がモスラの象徴する自然、あるいは古代と共闘し、勝利したという構図が本多猪四郎らしい物語構図になっている。
今のところ、文明や科学は古代の神秘や自然を破壊しているが、それに対しても文明や科学のありようによっては、共闘し、また明るい未来をつくれるのではないか、少なくとも我々はそこから進んでいくしかない、というのは、ラストの宝田明のセリフで結実する。

リドリー・スコットが描いた「オデッセイ」のようなテーマを本多猪四郎監督が既に描いていて感動した。
僕の観たい「ゴジラ」はここにあった。
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