サマセット7

ブラッド・シンプルのサマセット7のレビュー・感想・評価

ブラッド・シンプル(1984年製作の映画)
3.9
監督・脚本・製作は「ファーゴ」「ノーカントリー」のコーエン兄弟。
主演は「ザ・フライ」「ザ・フライ2」のジョン・ゲッツと、「ファーゴ」「スリービルボード」のフランシス・マクドーマンド。

テキサスの田舎町。
バーの店員レイ(ジョン・ゲッツ)は、店主マーティ(ダン・ヘダヤ)の妻アビー(マクドーマンド)に秘めた想いを打ち明け、2人は一夜を共にする。
しかし、アビーの浮気を疑っていたマーティは私立探偵(M.エメット・ウォルシュ)を雇って2人を尾行させており、2人の関係を知ってしまう。
怒りに駆られたマーティの行動を契機に、事態は加速度的に悪化していく…。

2007年「ノーカントリー」でのアカデミー賞監督賞をはじめ、各作品で世界中の映画賞を獲得して当代アメリカを代表する映画監督・脚本家となったコーエン兄弟の、1984年製作の監督デビュー作。
自主製作の低予算作品であり、興行的には慎ましいが、現在まで批評的に非常に高い評価を受けている作品である。

コーエン兄弟は、ハメットやチャンドラーといった古典的なクライム・サスペンス小説やハードボイルド小説の影響を受けた、クライム・スリラー作品の作り手として知られる。
犯罪をネタにしたコメディ作品も多い。
作品ごとに濃淡はあれ、ブラックでシニカルなユーモア、凝りに凝った設定・演出・プロット、キャラクターに対する突き放した視点など、独自の作風を持つ。
今作はデビュー作にして、後に続くコーエン兄弟監督作品の原型のような作品である。

今作はいわゆるフィルム・ノワールの構造を持つ。
男は運命の女性と関係をもち、その結果抜き差しならない状況に陥っていく。
ブラッド・シンプルとは、古典的なハードボイルド小説「血の収穫」に出てくる言葉。
恐怖と困惑の果ての殺人、を表すらしい。
なるほど、象徴的だ。

主要登場人物は、店員レイ、不倫妻アビー、怒れる夫マーティ、不穏な雰囲気を発する私立探偵の4人。
妻の浮気を知った夫の行動をきっかけに、ある決定的事態が起こった後、誰もが事態の全貌を把握しないまま、善かれと思ってした行動が、次々と事態を悪化させていく。
各人が場当たり的にであるが、本人なりに真剣にとった行動が無残な結果をもたらしていく様に、観客はコーエン兄弟と共に、観察者の背徳の悦びを見出すことになる。

と、まあ、筋を追うだけで普通に面白いノワールなのだが、今作では淡く暗いユーモアを感じるものの、コメディ色はほぼ無し。
「ノーカントリー」のアントン・シガーのような強烈なキャラクターはおらず、人物像はいずれもどこにでもいる平凡な普通人ばかりだ。
そんな今作の見どころは、コーエン兄弟一流のこだわり抜かれた演出と脚本、ということになる。

オープニングの暗い車内の会話シーンから、演出は奮っている。
暗がりの中でぼんやりと浮かび上がる男と女。
後の展開を予感させる不穏な会話内容。
そして、疾走する車に映り込む、断続的な光。

光と影の印象的な演出は、全編に見られる。
モーテルの窓に車道から映り込む光と影。
バーの不穏なネオンの光。
暗い道路の向こう側から迫ってくる車の光。
電灯と室外からの視線、などなど。

特にスリリングなシーンで、演出は鋭い冴えを見せる。
いくつか印象的なシーンがあるが、ネタバレを考慮すると説明が難しい。
白眉は、終盤の「壁」に関連する一連のシーンだろう。
スリルといい、美しさといい、映像の発する才気が素晴らしい。歴史的名シーンと言ってよかろう。

小道具にもこだわりが見える。
ストーリーの幹には、冒頭アビーがレイに説明する拳銃が登場する。
マーティから誕生日にもらったという、小型の美しい拳銃。
その他、探偵のライター、卑猥な人形、腐っていく魚、車のシート、赤く染まった上着などなど。
いずれも単なる小道具を超えた印象を与える。

脚本のこだわりは、登場人物が一貫して事態の正確な理解をしない点にある。
わかりやすく事態を俯瞰して、整理してくれる名探偵など、今作には登場しない。
現実とはそういうもの、というコーエン兄弟の乾いた世界観が窺える。

嫉妬深いが、実は軟弱なオーナー。
豪快に見えて、皮肉屋で酷薄な探偵。
一見可憐だが、どこか真意の読めない人妻。
実直だが、人情の機微に疎い田舎男。
そして、荒漠として、どこか法の支配から遠い、作中の架空のテキサスの田舎町。
各人の行動原理は、うっすらと感じられる程度でいちいち言葉で説明されない。
そこに余白があり、想像の面白味がある。

音楽の選定も非常にこだわりがあるらしい。
調べてみるのも一興だろう。

これら、随所に見られるこだわりを味わって、ああ、さすがコーエン兄弟!と納得するのが、今作の楽しい見方のように思う。

今作のテーマは、誰もがこの世の真実を知ることなく、自らがそうと思い込んだ現実を必死に生きている、ということか。
冒頭のテキサス人に関する述懐、各キャラクターの認識とすれ違いなど、このテーマに沿って理解できる。

コーエン兄弟の資質が顕れた、監督デビュー作にしてネオ・ノワールの秀作。
なお、ヒロインのアビーを演じたフランシス・マクドーマンドも、今作が映画デビュー作。
今作で出会った監督のジョエル・コーエンと結婚した。
その後、自身はアカデミー主演女優賞を2度獲得。2021年3月4日現在では「ノマドランド」で3度目の戴冠の可能性を残す。
名女優の未来を切り拓いた、という意味でも歴史的な作品であろう。