サマセット7

時計じかけのオレンジのサマセット7のレビュー・感想・評価

時計じかけのオレンジ(1971年製作の映画)
4.7
監督・脚本は「2001年宇宙の旅」「シャイニング」のスタンリー・キューブリック。
主演は「ギャングスターナンバーワン」、2007年版「ハロウィン」のマルコム・マクダウェル。
原作はアンソニー・バージェスの同名小説。

[あらすじ]
近未来のロンドン。
"コロヴァ・ミルク"バーでたむろし、夜な夜な暴力と強姦、暴虐の限りを尽くす"ドルーグ"こと不良少年グループのリーダー、アレックス(マクダウェル)。
両親の前では狡猾に夜間アルバイトに行っていると装っている彼は、自室でベートーヴェンの交響曲第九番を聴きながら、蛮行を思い返すのが至福の時であった。
しかし、警察当局は彼に目をつけ始め、"ドルーグ"内では彼の支配に抗う動きが出始める。
ついにアレックスは仲間の裏切りにあい、殺人罪で収監される。
彼は早期釈放を目指して実験的な「矯正教育」を受けることになるが…。

[情報]
映画史上最大の巨匠スタンリー・キューブリック監督が、1971年に公開した代表作の一つ。
ディストピア的な近未来を描いたSF作品であり、全体主義的な「矯正教育」の危うさを指摘する社会風刺作品でもある。
巨匠のキャリア随一の問題作としても知られる。

写真家出身のスタンリー・キューブリック監督は、ハリウッドの監督として商業性を維持しつつ、1999年に亡くなるまで、極めて独自性のある芸術的な作品を連発した。
代表作は、「博士の異常な愛情」「2001年宇宙の旅」、今作、「シャイニング」など、いずれもジャンルを代表する名作、傑作群である。
監督・脚本のみならず、撮影、編集、美術、選曲など作品製作全般をこだわり抜く完璧主義で知られている。
独自のセンスで後世に多大な影響を残した。
一方で、突き抜けた独自性から、しばしば関係者とのトラブルが報じられた。

今作がキューブリック史上最大の問題作と評される理由は、前半の「超暴力」(ウルトラバイオレンス)描写にある。
今見ると、ゴア描写はさほどでもなく、有名過ぎる「雨に唄えば」を歌いながらの強姦の場面も、より直接的な作品は他にもあるのだが、何しろキューブリックのこと。
描写が異様に執拗で、男女問わず全裸体が頻出し、美術などによる隠喩や、独自のセンスによる映像と曲の対位法が徹底的なため、強烈に不道徳な印象を与える。
ハッキリ、耐性のない人には、オススメできない。

現に今作は公開後、少年によるホームレス暴行事件や強姦事件に悪影響を与えた作品として槍玉に挙げられ、英国においてはキューブリックが亡くなるまで上映自粛状態にあった、という。

他方で今作はカルト的な名声を博しており、他のキューブリック作品同様、オールタイムで観るべき映画のセレクションなどには、しばしば選出される作品である。
現在でも総じて高い評価を受けている(一部に酷評もあるあたり、問題作たる由縁である)。

今作は220万ドルで製作され、アメリカでの興収は2600万ドルの大ヒットであったという。
世界興収はおそらくはリバイバルも含めて、1億1000万ドルとも、1億4000万ドルともいう。

[見どころ]
前半の強烈すぎる超暴力・超不道徳描写の連打。
近未来ディストピア的世界観を構成する一つ一つの画が、写真のようにキマッテいる。
謎の造語!!
謎の衣装!!
謎のメイク!!
冒頭の謎のオブジェに満ちたミルク・バー!
ホームレスの老人を襲う前の不気味な影!!
今見ても近未来的な作家の自宅のインテリア!
そこでの「雨に唄えば」が悍ましく響く、惨劇!
シュールが過ぎるウィリアム・テル序曲と早送りのシーン!
キャットレディ邸の前衛的過ぎる内装!!
いずれもグラフィックノベル的に感じるが、今作がグラフィックノベルに影響を与えたのか、その逆かは判然としない!!
後半になると、近未来感は控えめになるが、本題の矯正と「更生」後の顛末が、ジックリ、ネットリ、冷然と、時間をかけて描かれる。
ひたすら前半の悪行の報いを受け続けるアレックス!
前半の舞台や出来事が、逆転してリフレインされる!
役者たちの名演、怪演の数々!!
そしてラスト!
不気味に今作のテーマ性が浮かび上がる!!

[感想]
ヤバイ作品。

大昔に観たはずだが、前半の記憶しか残っていなかった。
再鑑賞すると、説明を省き過ぎて意味不明になった「2001年宇宙の旅」と比べて、かなりテーマ性のハッキリした作品、と感じる。
他方で、キューブリックならではの映像と音楽の作り込みが今ではわかるので、前半の不愉快指数MAXな暴虐描写も、一味違って見える。

冒頭のマクダウェルの青い三白眼の威力。
飲んでるのは、ミルク風の謎ドリンク。
そしてテーブルの女体オブジェ…。
映像のみで、この人たちは、女性をモノとして扱う人たちデース!!と宣言する。
宣言通り、その後のアレックスたちの乱行は、人を人と思わないものばかり。
頻繁に挟み込まれる造語が、イマドキの若者感を表現する。
一つ一つの描写が、彼らが快楽のために他者を虐げていることを示す。

前半の各役者の演技は、どこか舞台演劇めいている。
巨匠により、過剰に作り込まれた映像や演技がそう思わせるのか。
非現実的、というよりも、「これはあくまで風刺劇デスヨ!」という弁解を感じないでもない。

例外は、被害に遭う作者の演技。
目の前でパートナーを犯される彼の顔面アップの迫真性は、映画ならでは。
演じるパトリック・マギーは、今作後半でも凄まじい顔面演技を見せる。
後年キューブリック作品の「バリー・リンドン」にも出ているが、今作の演技を評価されてのことか。

前半はディストピア・バイオレンス・ピカレスクロマンとして展開するが、中盤以降、アレックスが司直の手にかかってからは一転、全体主義的なシステムの掌の上で、個人が弄ばれる様が延々と描かれる。
矯正教育の名の下で行われる洗脳により、アレックスの本能的な暴力衝動、性衝動は苦痛と紐づけられ抑圧される。
その「ついでに」、彼にとって、より高次の喜びであった音楽をも苦痛に変じ、彼の主体性と人間性は剥奪される。

矯正教育の描写が実にイヤだ。
強制的な映像鑑賞がそのメインだが、拘束具をつけられ、瞬き禁止のため目に器具をつけ、介助者の手で頻繁に目薬を投与される様は、彼がモノとして扱われていることを視覚的に理解させる。
まさしく、前半で彼が他者に対して行っていたが如く。

釈放後は、前半と立場が逆転した地獄めぐりパート2。
今度モノとして扱われるのは、アレックスの方だ。
彼をモノとして扱うのは、かつての仲間、かつての被害者、そして、国家そのもの…。

ラスト、彼に起こったことは何か?
「矯正」とは?
冷然と観客を突き放し、今作は終わる…。

全体として、精緻に作り込まれた、ヤバイ完成度の作品、という印象が先に立つ。
他方で、テーマを語るための手法が先鋭を極めるため、受け止め方が変われば、観衆にヤバイ影響力を与える、危うさをも秘める。
全能感に満ちた前半のアレックスに、憧れ続かんとする者がいないとは言い切れない。
なるほど、巨匠畢生の問題作である。

今作が好きか?
考え込まざるを得ないが、巨匠による極まった芸術作品であることに疑問の余地はない。
現在観ても、まるで古びておらず、観客の思考や感情をグラグラ揺さぶる。
それこそ、名作ではないか。

[テーマ考]
今作は、非常にテーマを考えがいのある作品である。
多様な切り口で語ることが可能だろう。

例えば、今作はしばしば、全体主義的な管理統制と、自由放任の無秩序との、ジレンマを描いた作品、という見方がされる。
無秩序を許容せず、管理に走れば、対象の人間性も失われる、という板挟みを風刺した、というわけだ。
トマス・ホッブズのリヴァイアサン的な発想だが、ややイージーなきらいがある。

あるいは、「2001年宇宙の旅」冒頭の武器を持った猿人に関連づけて、今作は、人間(主に男性)の意識の深奥に存在する、暴力性を描いた作品、という見方も可能だろう。
暴力の主客は、前半と後半で反転し、後半でより高次の暴力を振るうのは、国家、というわけだ。
これはこれで、人間は、どのレイヤーでも、常に相対的弱者に対して暴力を振い続ける、なぜなら、それが人間の本能だから、という皮肉・風刺にたどり着く。
この観点は、前半の過剰な暴力描写の演出意図を説明してくれる。

よりシンプルに、今作が、「矯正教育」というものの危うさを描いた作品、という見方は、より素直かもしれない。
刑罰の意義は、しばしば「因果応報」「予防としての見せしめ」「矯正教育」の3つで説明されることが多い。
死刑などは、「応報」と「予防」の極致だろう。
他方、少年に対する刑罰は、成人と比べて「矯正教育」という考え方がされやすい。

目には目を、歯には歯を、という因果応報の考え方は、人間の本能から理解しやすい。
人間は、本能的に、攻撃に反応して闘争したい生き物、というわけだ。
他方、「矯正教育」という観点は、理性から導かれる結論だ。
犯罪を形成するのが、優生学的な個人の資質でなく、環境ならば、教育によって、再犯を防ぐことが可能ではないか?
こうした考え方は、第二次世界大戦後、ナチズムと共に優生思想が駆逐されて、国際的には支配的になりつつある。
死刑廃止論が国際的に広がる由縁である。

しかし、「矯正」とは何か?
所詮は、「望ましい人間」「善なる人間」とは、虚構に過ぎない。
実際にあるのは、生のニンゲンだけだ。
衝動的で、時に暴力に耽溺し、弱者を支配することを本能的に悦ぶ、ニンゲン。
国家による制度化のプロセスを経て、「善なる人間」は、国家により「管理に都合の良い人間」に翻訳される。

今作のラストは、「国家にとって都合の良い人間」が、世論、という「空気」により、安易に変動する様を明らかにする。
その結果、「矯正」の意味が、180度反転してしまう。
なんというか、落語のオチのようだ。
ちゃんちゃん。お後がよろしいようで。

まとめると、今作は、個人による暴力と、国家による暴力装置としての「矯正」を対比させて、その危うさを風刺した作品、といえようか。

[まとめ]
巨匠キューブリックが徹底的に作り込み、カルト的な人気を博する、ディストピアSFの名作にして問題作。

今作のタイトル「時計じかけのオレンジ」は、「表面上は普通だが、中身は変てこ」という意味の英語のスラングだという。
これは、大人から見た若者のことを指しているのかもしれない。
いわゆる「最近の若者はわからん」「宇宙人みたい」というやつだ。
今も昔も、ジェネレーションギャップは常に存在する。
今作の架空の若者言葉「ナッドサット語」などは象徴的だ。
人は、分からないものを恐怖する。