サマセット7

グリーンブックのサマセット7のレビュー・感想・評価

グリーンブック(2018年製作の映画)
4.1
監督は「メリーにくびったけ」「ジムキャリーはMR.ダマー」のピーター・ファレリー。
主演は「ロードオブザリング」「イースタンプロミス」のヴィゴ・モーテンセンと、「ムーンライト」やTVドラマ「トゥルーディテクティブ/シーズン3」のマハーシャラ・アリ。

【あらすじ】
1962年アメリカ。
バーの用心棒として働くイタリア系白人のトニー・ヴァレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)は、バーの閉鎖にともない、ある依頼を受ける。
それは、アフリカ系アメリカ人の世界的ピアニストであるドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の運転手兼ボディーガードとして、人種差別の色濃く残るアメリカ南部の演奏旅行に同行する、というものであった!!
自らも人種的偏見を持つ無教養なトニーは、教養があり裕福な黒人であるシャーリーとの旅という依頼に戸惑うが、高額の報酬を受取るために依頼を受ける。
そして、何もかもが異なる二人の旅路が始まった・・・。

【情報】
2018年に公開され、アカデミー賞作品賞を受賞した、伝記映画。

題材となった、トニー・ヴァレロンガとドン・シャーリーは実在の人物である。
今作は彼らへのインタビューやトニーが妻に宛てて書いた手紙(作中にも登場)に基づいて、トニーの息子であるニック・ヴァレロンガが脚本を執筆した。

題名は、黒人ドライバーが南部を旅行する際、黒人でも泊まることができるホテルのガイドブックのタイトルから取られている。

ドン・シャーリーは1950年から60年にかけて多数のアルバムを発表した、実在のクラシック音楽・ジャズ・ピアニスト。作曲家としても知られる。
音楽で学士号、名誉博士号を有しており、「ドクター」の呼称はこれに由来する。
今作は、1960年代に彼が精力的にコンサートツアーを行っていた際に、実際に行われたディープサウスへのコンサートツアーを題材としている。

トニー・ヴァレロンガは、実在のバウンサー(酒場の用心棒)だが、俳優としても知られている。
マフィア映画や犯罪ドラマに「本物」として起用されており、「ゴッドファーザー」「ソプラノズ」(ドラマ)、「グッドフェローズ」など、有名作品に出演している。
口が達者だったためトニー・「リップ」の愛称で知られる。

今作には、歴史的事実を歪曲している、との批判がドン・シャーリーの遺族からなされている。
2人の関係性、ドン・シャーリーと家族や黒人コミュニティとの関係性などが事実と異なる、というものである。

今作は、2300万ドルの製作費で作られ、世界興収3億1000万ドルを超える大ヒットとなった。
一般観衆から非常に広範な支持を集めている。

批評家も多くが支持する一方、一部には批判的な批評も見られる。
主な批判は、今作がいわゆる白人救世主ものの構造を有しており、人種差別を題材とした作品でありながら、加害者側の白人を擁護するものであるというもの、あるいは、黒人キャラクターが白人キャラクターの成長に寄与するための部品としてステレオタイプに描かれていること、などがあるようである。

アカデミー賞では5部門でノミネートされ、作品賞、助演男優賞、脚本賞を受賞した。

[見どころ]
重い題材にも関わらず、コミカルな描写が多く、軽やかに見られる!!
人種、セクシュアリティ、貧富、教養、何もかもが異なる2人が、徐々に互いの理解を深めていく、王道の人間ドラマ!!!
1960年代アメリカ南部における、激烈な人種差別の実態!!
ドン・シャーリーの奏でる美しいピアノ!!
主演2人の心を打つ演技!

[感想]
いい映画でした!!

メリーは首ったけ、をはじめ、コメディ作品を多く撮ってきたピーター・ファレリー監督だけあり、基本的なトーンは、コメディ。
無教養、粗野で大衆文化で育ったトニーと、教養があり、洗練されており、ハイソサエティで育ったドン・シャーリーの異文化ギャップがおかしみを生む。
フライドチキン(元は黒人文化発祥)を食べたことのないシャーリーが、無理やりトニーに勧められてアタフタする、とか。
調子に乗ったトニーが車の窓から紙コップをポイ捨てして、ドンから怒られる、とか。

映画が進むにつれて、南部白人の黒人差別の苛烈さは増していく。
白人専用トイレ、有色人種は入れないレストラン、黒人の夜間外出禁止、などなど。

他方で、最初は黒人の使ったコップをゴミ箱に捨てるくらい人種差別的だったトニーだが、ドン・シャーリーの演奏を聴いたことを契機に、尊敬を覚えていく。
やがて2人の間に、友情が芽生えていく過程が感動的だ。
終盤の展開は、涙なしには見られない。

今作に対する批判もわかる。
例えば、ドン・シャーリーの人種がアジア系なら、日系なら、今作は我々日本人にどう見えただろうか。
同じように素直に感激できたかは疑わしい。
白人の監督、白人の脚本家が、人種差別を扱う作品を作る、ということそのものに、反発があってもおかしくはない。
差別の本当の苦しみや難しさは、当事者でなければわからないだろう。
今作は、人種差別を扱った作品としては、ヌルい、甘い、という批判は、もっともだとも思う。
それだけ、繊細で難しい題材なのだ。

他方で、ドン・シャーリーを演じたマハーシャラ・アリは、今作の訴求力について述べて、今作の意義を語っている。
ゴリゴリの社会派映画を見ない観客にも、コメディである今作は届き得る。
そんな観客が、人種問題を考えるきっかけになるならば、それはそれで意義があるのではないか、と。
冷静かつ合理的な言葉だと思う。

ただ感動した、いい映画だった、で終わるには、今作の題材は重い。
やや楽観的に過ぎるように見える結末の意図も含めて、今作が伝えるテーマについては、それぞれの観客が考えるべきだと思う。

[テーマ考]
今作は、人種差別の色濃く残る南部を、白人と黒人のコンビが旅する話であり、アメリカの人種差別問題が題材となっている。

一方、今作で差別の対象となるドン・シャーリーは、白人であるトニーと比べて、別次元で裕福で、確立された地位もあり、教養も才能も備えている。
白人のステレオタイプがもつものと、黒人のステレオタイプがもつものを、2人は丸切り反対に持っているのだ。

ドン・シャーリーとの旅により、トニーは自らの人種的偏見から解放され、人間として相手にリスペクトを覚えていく。
今作が焦点を当てているのは、2人の関係の変化だ。

今作が訴えるのは、人種差別の苛烈さそのものではなく、人と接する時に大事なことは何か、ということだろう。
属性で判断するのではなく、より複雑な、人間そのものを見ること。
そのために、相手のことを知ること。
相手に関心を向けること。

そう簡単な話ではない。
人間の脳は、情報処理の負荷を少なくするため、属性で割り切るように出来ている。
いわゆる、バイアスだ。

社会規範というものは、さらに厄介だ。
社会規範化された差別は、無意識に個人の価値観に刷り込まれる。
作中の白人たちは、繰り返し言う。
土地のしきたりなので。
そういう決まりなんです。
伝統ですから。

バイアスや社会規範化された差別から、自由になり、真に相手と向き合うためには、意識して考える必要がある。
自分のものの見方を疑う姿勢を持つ必要がある。
属性で割り切るには、人間というのは、複雑だ、ということ。
相手は、どんな人間か?
相手は、どんな気持ちになるだろうか?
相手に対して、自分はバイアスや社会規範に囚われていないだろうか?

ことは人種差別だけの話ではない。
ジェンダー、国籍、世代、住む場所、地域などなど。
バイアスや社会規範はどこにでもある。
日本人にとっても、対岸の火事ではない。

今作の終盤の展開や、ドン・シャーリーの複雑なキャラクターに照らすと、今作を、自らのルーツを受け入れることについて描いた作品、という読み方もできるかもしれない。
人種の坩堝であるアメリカならではのテーマだが、この見方をすると、トニーの白人救世主臭さが際立つか。

[まとめ]
アカデミー賞作品賞に輝いた、差別問題について考えるきっかけを与えてくれる、異人種間バディ・ロードムービーの快作。

主演2人の佇まいが印象的だ。
ロード・オブ・ザリングで、野生的な気品も備える準主役アラゴルンを演じたヴィゴ・モーテンセンの、でっぷりと中年太りした姿と、醸し出すおっさん感には、びっくりさせられる(おそらく役作りの賜物)。
一方のマハーシャラ・アリの、背筋の伸びた瀟洒なスーツ姿、しなやかにピアノを弾きこなす所作は、役を体現していて、とてもかっこいい。