Nella

デスプルーフ in グラインドハウスのNellaのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

究極のフェミニズム映画なので、当然フェミニズムの問題点も描いている。さらに、女性に加害する男性の病理の解説があり、警察官たちが「女なんてつまんねえものが何人殺されようと、面倒だから捜査なんてしねーぜ!!」と清々しく言い切って、フェミサイドを把握しながら何もしない、最近の各国の公的機関の問題点を指摘している。ダラダラとよくわからない映像が何分も続くけど、その辺はタラ監督の趣味で、作品の主旨はこの中盤の警察官たちの会話で、全部説明しちゃう。当時すげえ斬新だと思った。映画なんて別にどんな撮り方しても良いし、それで面白ければ文句はない。だいたい架空の予告編のための映画というコンセプトが先で、ここまでの脚本を起こせるのは逆に凄いんじゃないの。グラインドハウスはロバート・ロドリゲスの「プラネット・テラー」もあるけど、本当に「フロム・ダスク・ティル・ドーン」や「マチェーテ」撮ったのと同じ監督か?って思うぐらい恐ろしくつまらなくて、半分も見れなかった。それを考えるとコンセプトありきで脚本書くのが如何に難しいか分かる。

日本にも「ぶつかりおじさん」というものがいるが、わざと女性の車に追突するのは「セックスの代償行為」であり、それで女性が怪我したり死ぬことも厭わないので、もっと言えばレイプの代償行為だと説明されている。ぶつかりおじさんもそうだけど警察に相談した所でまともに相手にされないのは「そんなんたいした事じゃないし、減るもんじゃないんだからヤラせてやれば。だいたい女っていうのは、みんな娼婦なんだからね!」と、男が思っているからだ。そうはっきり描かれている。殺されるローズ・マッゴーワンの涙をあんなに美しく描くのは、そういう含意なのだと思う。様々なアプローチでフェミニズム映画に挑戦しているシャーリーズ・セロン姐さんなどが悔しがりそうだけど、男の認知の歪みをこれだけ徹底して描けるのはやはりタラならではだと思いますわ。K山龍とかの暴力AVを好むような男から見た「女」のイメージだよね。そういうの、昔は「スナッフフィルム」ってくくりで、好む人しか好まないみたいなマニアのためのゲテモノ扱いだったと思う。
どうでもいいが、暴力的な代償行為ばかり追求し過ぎると、不能(ED)になるよ。スタントマン・マイクも典型的な不能者だよ。

メアリー・エリザベス・ウィンステッドの外見がラス・メイヤーの「ファスター・プシィキャット!キル!キル!」のビリーのオマージュだが(役名もリーだし)女の子だけで楽しくわちゃわちゃしており、「おいしそうな男を探しにいこう」みたいなことは誰も言わない。しかし、女優の卵でずっとチアのユニを着ているルックス自慢の彼女を、「ちょっと間を繋いでもらおう」と農夫への貢ぎ物にしちゃう所に、フェミニズムにも問題があるよなあ、と思わせる。要は女同士の妬みから発する足の引っ張り合いね。そういう矛盾を孕みながら、変態のスタントマンマイクを後ろから掘ってやる。ラスト10分の手に汗握るカーアクションとゾーイ・ベルによるスタント、マイクへの制裁からのTHE ENDは確かにすっきりするんだけど、ちょっとモヤモヤが残る所も上手いと思います。そこがカルト映画的に長く愛される要素なんじゃないかな。
しかし製作にハーヴェイ・ワインスタインの名前があるが実質どのくらい関わってたのか。ただ名前貸しただけなんじゃないの?知らんけど。
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