Nella

マッドマックス 怒りのデス・ロードのNellaのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます


前日譚「フュリオサ」が公開するから見返してみたんだけど、冒頭こんなだっけ?私の記憶ではトム・ハーディは最初から既に輸血袋でワーワー言ってたw

この映画の話をする時にはどうしても避けて通れない、私の好きな(正確には“好きだった”かな…)映画評論家の話をしなければならない。回りくどいわね、M山T浩だよ。
氏がこれを「何も考えずに見れるバカ映画」と評したのに驚いた人も一定数いると思う。そういうポストをXでいくつか見た。庇うとすれば、前作までのイメージが強くて前作世代のM山氏にとってはそうだったということかもしれない。ちょっとマイナーだが百合と映画評をかけ合わせた「おやすみシェヘラザード」という漫画でも、やはりこの映画の見どころを「イモータン・ジョーはじめとする世紀末に弾ける蛮族のヒャッハーぶり」と、レズビアンの女子高生の口から紹介させていた。

こんなに強烈で明白なメッセージがあるのにそれを見逃す時は、自分はそれに対峙したくない思いというか、それを見たくないという忌避がどこかにあると思うよ、ズバリそれはフェミニズムなんだけど。
知的なM山さんのことがわたしは大好きで、「松嶋×M山の未公開映画を見るTV」も欠かさず見ていた。その番組で唯一「ん?」と思った回があった。ストーカーの男性と結婚した女性のドキュメンタリーだ。それをM山さんは「歪んではいるものの、一種の愛の形」というふうに紹介していた。ストーカーの努力が実って女性の愛を獲得したという様な論調で…そうですか?全然そうは思えないけど?と思った。結婚しないと生きられない時代の、しかも盲目の女性がストーカーの歪んだ妄執を受け入れたのは、そうしないと生きられないから仕方がない、という諦めでは?松嶋さんも納得してなかったみたいだった。
その後も「ん?」と思うのは決まってフェミニズムが絡む時なので、M山さんはきっとどこかで「フェミニズムは面倒臭いから対峙したくない」と思ってると思う。「女の人権なんて面倒」と潜在的に思ってれば、秘宝DM事件があそこまで大きく燃え広がってしまうのもむべなるかな、でしょう(横道に逸れるが、自分が名前を付けたものには責任を取る、というのは聖書にも書いてあるんですよ。子の親ならば知ってるはず)。まぁでも、それはしょーがないよね、他人は変えられないから。でも悲しいよね…

この映画の主人公は明らかにフュリオサである。キック・アスの真の主人公がヒットガールであったように(原題のfury roadは”furiosaの道”と言い換えることもできるそうな)。水も植物も、子供を産む女も、『財産』として全て統治者イモータン・ジョーが暴力によって独り占めする国、その国の恐怖政治から人々を助けようとする、女大隊長フュリオサの物語だ。マックスはそれに協力しただけ(むしろニュークスの方が貢献度高いよな。「ザ・ボーイズ」のS3とかでも、女性の力を信じてバックアップする男性像が描かれるが、最近流行りのテーマなのだと思う)
そこを読み損なうとはなぁ…
尊敬する人の間違いって悲しくなるよね。人喰い男爵の「たかが痴話喧嘩でこの騒ぎか」って台詞なんて、警察に突き出されたDV男が「ただの痴話喧嘩ですよ」って言うのを皮肉ってるのが明白なのに、そういうのも流し聞いちゃったのかな。
女性の中に一人「男の言う事を聞いてれば殺される事もなく、そこそこ優雅に暮らせるはず」という女性がいるけども、皆が「オモチャにされるだけだよ、私達は人間よ」と説く。男の言う事を聞く、それこそストーカー男の妄執と暴力を甘んじて受け入れる事と同義ではないかしら?

映画はめちゃくちゃ面白いです。面白くなければフェミニズムの話なんて男は誰も聞かないという事を逆手にとってて、めちゃくちゃ面白いです。考えてみればセロンネキは、ほぼほぼフェミニズム映画にしか出ないのだよ
Nella

Nella