このレビューはネタバレを含みます
アン・ハサウェイ自体が既にとんでもない美人なので服が適当で髪がボサボサでも美しく見えていたけれど、ブランドファッションをバリバリに着こなした後で改めて初期のアンディを見ると確かに野暮ったかったように思う。ファッションに目覚めたアンディは実に魅力的だ。しかし魅力的な見た目を手に入れることがアンディの幸せではない。
パリ行きは恋人との関係を見直すための休息だったが、ランウェイ誌での仕事はアンディのライター人生の休息だったのだと思う。ミランダのアシスタントとして成り上がりファッション業界で成功する才能があっても、やはりジャーナリストが自分の生きる道なのだと気づくための回り道。
タイトルの『プラダを着た悪魔』だが、「悪魔」というのは「無理難題を押し付けてくる嫌な奴」という意味ではなく、「人を魅惑し道を踏み外させる存在」ということなのだろう。ミランダは厳しいがカリスマ性があり、アンディは彼女に心酔するほどにジャーナリストになりたい自分を忘れてしまう。大切な恋人の誕生日も後回しにした。
入院したエミリーが言った「ジミー・チュウを履いた日に魂を売ったのね」を含む一連のセリフは、魂を売るという悪魔を連想させる表現からしてこの映画の本質だと思う。本物のジャーナリストならデスクの前でひたすら電話に張り付いていたりせず取材のために外を駆けずり回るはずで、そのためにはお洒落より動きやすい服装が必要。ランウェイでやっていくためにアンディは動きやすさを捨ててしまったのだ。
アンディがどんな服装を選ぶかは、どんな人生を生きたいかを反映している。映画自体服を着るところから始まるのが、そのことを示唆しているように思える。高価なお洒落着を全てエミリーに譲ったアンディは、ファッション業界ではなくジャーナリズムの世界に生きる人の姿をしている。