玄助

プラダを着た悪魔の玄助のネタバレレビュー・内容・結末

プラダを着た悪魔(2006年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

以前どっかで軽く見たような気がしてた。「イケてない少女がファッションカリスマの手にかかって大変身!?」的なストーリーだったようなと。
でも見て「あ、これ初めてだ。全然ちゃうやん。思い込み怖」ってなった。
とっても面白かった!

自分の姿勢の変化で同じものであれどその見え方が全く変わるという点が非常にうまく描かれていたと思う。

最初は飽くまでジャーナリストになるための踏み台としてランウェイに来たアンディは「たかがファッションでしょ。ファッションのセンスは人それぞれ!私がどんな服着ようと私の勝手!」と「無理難題ばっか言って!しかも全然私を認めてくれない。ミランダ嫌なやつ!」って態度で仕事に励む。

で途中で、ベルト選びのシーンで「どっちも変わらんやんw」って態度に対しミランダの指摘で、自分が今着てる服の色すらも結果としてはミランダたちのようなファッションに心血を注ぐ人たちの血のにじむ努力の影響を受けて周り回って今の常識になってる事実をぶつけられ、それを軽んじるような態度をとったこと自体なんとなくばつが悪くなる。

んでまた無理難題。褒めてくれへん。でナイジェルに「私こんな頑張ってんのにひどくない!?」って言って「いや頑張ってなくね?努力なめんな。自分の働いてるところがどんだけ多くの人のどんだけ多くの努力の上に成り立っててどんだけ多くの人の救いや憧れの的となってんのかわかってる?その最前線で『ファッションは人それぞれやからあんたらの価値観は知らん』『頑張ってるのに。私かわいそー。』ってアホか。嫌ならやめーや。おめーのポストを喉から手が出るほど欲しがってる人なんて5万とおるわ。やめへんなら努力するしかない。認められたくても努力するしかないねん。」って言われてぐぬぬってなって。んで認められる努力として仕事とファッションを真剣に頑張り始め、そして徐々に認められていく。

認められていく内にランウェイの皆の情熱やプロ意識に対する尊敬とその一端を担っている誇りも徐々に形成されていくが、その傍ら私生活との折衷や、同僚とるか仕事とるかみたいな新たな難題に直面。「仕事やからしゃーないやん!」「上司の命令やからしゃーないやん!」って苦しみながらも次の仕事、次の仕事と忙しさにかまける。

パリにおいてはミランダの苦悩と、それでもなお突き進む彼女の姿に感銘を受ける。
ナイジェルの夢が叶うことに感動する。
ミランダの危機に彼女を想い走る。
んでナイジェル落胆。ミランダさすが。
アンディはナイジェル落胆にゾッとし、ミランダ危機回避にホッとし、ミランダのナイジェルへの仕打ちにムッとする。でもミランダは「あなたがエミリーにしたこととなんら変わらないわ。あなたはあれを仕事のせい、上司のせいって言うけど最終的にそれを飲んだ。つまりそれを選んだのはあなたなの。そう言う点ではあなたは私に似ているしだから信頼できるの。期待しているわよ。」
と彼女の信奉者にとってはこれ以上ない褒め言葉を貰うもアンディ気づく。
共に働くことで、仕事を共にしてきた様々な人々の生き方、仕事への姿勢に感動し、感銘を受け、そしてその傍にいられることに、意識はしなかったかもしれないが誇りを感じていたことに。そして結果として、その立場にいる事実に傲り、ファッションを軽んじていた浅はかな自分と同様にいつのまにか自分の今の仕事、仕事上の立場以外のものを軽んじる浅はかな自分になっていたことに。

では自分にとって大切なものはなんなのか。これに正解はないと思う。それは大義を抱き社会の特定の規範を高みに持っていくことかもしれないし、仕事で人を救ったり楽しませることや自分が仕事を楽しむこと、家族や友人と幸せな時を過ごすことかもしれない。

ミランダやナイジェル、エミリーの世界が間違っているわけではない。ただ単純にアンディは一時的に酔いしれ、見失ってはいたが彼女の大切なものはそこで見つかるものではなかったと言うだけのことだ。

ではこれを観た私たちはどうだろうか。「あ、価値観押し付けないでもらっていいっすかw」なんて態度で人を小馬鹿にしたり見下したりしてないだろうか。「頑張ってんのにひどい!」とその礎となっているそれ以上の努力やその努力に救われ憧れている人を踏みにじってないだろうか。「仕事だから仕方ないじゃん!」と自ら選択したことへの責任を放棄し、大切なものを見失ってはいないだろうか。
と最後に考えさせてもくれる良き作品であった...

以上よ。
玄助

玄助