SANKOU

無法松の一生のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

無法松の一生(1958年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

1943年公開のオリジナル版と設定はほぼ同じだが、印象が大分異なるのは白黒とカラーの違いだけではないと思った。
時代の空気感ともマッチしていたのだろう、前作は日本映画史上の傑作だと感じたが、惜しまれるのは検閲の問題がありラストが不完全燃焼に終わってしまったところだ。
今回その無念を張らすように稲垣浩監督自身がこの映画のリメイクを手掛けている。
結果、松五郎の胸に秘めた思いがより切実に伝わってくる作品になっていた。
松五郎はとても荒くれ者だが、義理堅く、不器用で愛情深い男だ。
彼はたった一晩だけの付き合いだった吉岡小太郎への義理をずっと忘れずにいる。
小太郎の妻良子は息子敏雄の面倒をみてもらえまいかと松五郎に頼む。
彼が怪我をした敏雄を医者まで運んだことから吉岡家との繋がりが出来たのだが、一度繋がった縁をとても大事にする松五郎らしく彼は二つ返事でその頼みを引き受ける。
もちろん敏雄への愛情もあるが、彼が吉岡家に尽くすのはいつからか芽生えた良子への恋心もあってのことだろう。
敏雄を一人前の男として育てるために尽くす松五郎は底抜けに明るい。
泣き虫で引っ込み思案だった敏雄も、松五郎の力強さに触れるうちに強くたくましく成長していく。
しかし成長するに従って敏雄は、人前で自分のことを「ぼん」と呼ぶ松五郎を疎ましく思うようになる。
良子は松五郎に、これから敏雄のことを「吉岡さん」と呼んでくれるように頼む。
いきなり敏雄と他人行儀になってしまったようで松五郎の気持ちは沈む。
やがて敏雄は高校に進学するため親元を離れていく。
敏雄を一人前の男にするという良子への義理を失った松五郎は、瞬く間に落ちぶれていく。
一時的に帰省した敏雄にいいところを見せようと飛び入りで祇園太鼓に参加する松五郎の姿は、久々に息を吹き返したようだった。
彼の行動はとても明快で分かりやすい。
しかし彼は自分の想いを伝えるのがとても苦手だ。
彼は良子のことを愛している。しかしそれを伝えることが出来ない。
そしてその理由は死んだ小太郎への義理があるからだと分かる。
彼は自分の心は汚れていると言い放ち、良子の元を去っていく。そんな松五郎の姿を見てショックを受ける良子だが、彼女は彼の好意にいつから気づいていたのだろうか。
雪道を行き倒れるまで、過去の思い出を走馬灯のように思い出しながら歩き続ける松五郎の姿に心を打たれる。
今回のリメイク版の方が人力車の車輪の画がより効果的に感じられた。
車輪は時間の流れを表し、松五郎の心の揺れを表し、そして運命の歯車を表しているようだった。
松五郎が良子から受け取った金に一切手をつけていなかったこと、その上二人のために貯金を残していたことが分かるラストはとても切なく哀しい。
何の見返りもなく、義理堅く生きた気っ風のいい男。
このリメイク作品で稲垣浩の描きたかった無法松の世界は完成したとは思う。
しかし個人的には不完全ながらもオリジナルの方が臨場感があって心に訴えかけてくるものが強かったように思う。
三船敏郎は武骨で不器用な松五郎のキャラクターには合っていたが、オリジナルの坂東妻三郎には観るものの心を鷲掴みにする愛嬌があった。
松五郎が敏雄を元気づけるために飛び入りで徒競走に参加するシーンがあるが、コミカルでなおかつダイナミックな動きは坂東妻三郎の方がずっと観ていて好ましかった。
祇園太鼓の迫力あるシーンはさすが三船敏郎は様になっていたが。
良子役の高峰秀子はさすがという佇まい。
この『無法松の一生』は必ずオリジナルとセットで観た方がより世界観が拡がると感じた。
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