Ash国立ホラー大学院卒論執筆

悪の教典のAsh国立ホラー大学院卒論執筆のレビュー・感想・評価

悪の教典(2012年製作の映画)
4.4
【サイコパスのジレンマ】

貴志祐介お得意のサイコパス小説第二弾。前作の『黒い家』はデビュー作で荒削り感はあったものの、今作はサイコパスの正体に迫っている。

『黒い家』で表現しきれなかった、あるいは無視されていた「サイコパスの二面性」が意識されている。細かい部分も再現されており、詳しい人間からすると拍手したいレベル。

だが今作は「優しく理想的な教師」と「銃乱射大量殺人のサイコ野郎」の落差に痺れさせることが趣旨の作品で、サイコパスという精神病の特徴そのものが優秀な設定になっているわけだが、娯楽性を高める為なのか幾つかミスがある。

今作は貴志祐介の小説の中でも批判されている方で、「主人公は利益・不利益で全てを判断し、不利益であれば全員殺すなんてとんでもない、ありえない」や「レクター博士の劣化版にしか見えない」などの批判が主だ。

サイコパスは一般的にすぐ人を殺す異常殺人者であると思われているが、実態は真逆。統計的にサイコパスは社会的地位が高い者が多く、ほとんどが重大な罪を犯さずに現代社会で生きている。

サイコパスは「良心や罪悪感がない(生まれつき扁桃体の働きが弱い)」ゆえに、「選択肢としての殺人」に抵抗が少ない。普通の人間は問題解決の際に、「殺人」という手段は端から考慮しない。そこがサイコパスと普通の人間の違いで、ある意味ではサイコパスはより合理的なだけで、異常殺人者となるのは極一部というわけだ。

極一部でしかない「異常殺人者」をただ冷徹で極端に合理的なだけの「サイコパス」と安易に結びつけてしまったのが、リアリティの喪失に繋がっているんだと思う。殺人の動機付けが弱すぎて、「利益の為なら即殺人する理解不能な主人公」と思われ軽い印象を与えてしまった。

とは言え、サイコパスを忠実に描いてしまうとインパクトに欠ける。これが物語の設定として「サイコパス」を用いる際のジレンマだろう。