Sari

フィツカラルドのSariのレビュー・感想・評価

フィツカラルド(1982年製作の映画)
5.0
〝鬼才〟という言葉は彼のために存在する。
ニュー・ジャーマン・シネマの鬼才ヴェルナー・ヘルツォーク監督の最高傑作。

19世紀南米ペルー。
オペラハウス建設を夢見るフィツカラルドは、資金繰りのために無尽蔵のゴムの木を有するアマゾン河上流の未開地へ挑む…

怪優クラウス・キンスキー演じるフィツカラルドは、麻の白いスーツ、タイ、ハットに革靴と言う綺麗目な出で立ち。頑固で純粋なキャラクターを表現したかったのだろうか、泥だらけになろうとも御構いなしで貫くそのスタイルは、ぬかるんだ密林地帯にはどう考えてもそぐわない。
しかしそれが険しい密林に映え、野蛮なキャラクターのキンスキーを上品に魅力的に見せている。
フィツカラルドの相方、娼館の女主人を演じるクラウディア・カルディナーレが明るくフィツカラルドを支える役所で、枯れた味わいのある色っぽさが華を添えていて良い。
映画の撮影スタート時から主役は3度も交代し、キンスキーの前には別の俳優とミック・ジャガー共同主演だったが、病気とコンサートに寄って降板。(ちなみに「キンスキー 我が最愛の敵 」で撮影されたミックジャガーの姿を観る事が出来る。)
キンスキー1人に脚本が書き直された形でスタートしたが、何度もトラブルに見舞われ7ヶ月以上も撮影期間を要したと聞くと過酷さがわかる。

物語の展開の遅さと、荒々しい大自然の迫力にドキュメンタリーか映画か区別がつかなくなる。
最初のオペラのシーンから、アマゾンを蒸気船がゆったり進むシーンから密林の斜面からおびただしい数の原民族が現れる様まで、そのしつこさにゾッとするような感覚にも陥りながらも、フィツカラルドが蓄音機で流すオペラが景色を幻想的に一変、陶酔させる。
原住民が密林に生い茂る木々をなぎ倒し、蒸気船がCGではなく、本当に山を越えるシーンはただ圧巻で、その馬鹿げた壮大な景色を呆然と見つめるしかなかった。
言葉にしようとすると途端に嘘っぽくなる、この圧倒的な画に説明など要らない。
映像の力を限りなく信じているヘルツォーク監督と、
死人が出ようとも山越えを諦めない執念、奇人ぶりがハマり役のキンスキーだからこそ成り立った映画。
彼にはクレイジーさがありながら人間臭さも感じ、どこか憎めないキャラクターである。
キンスキーの死後のドキュメントタリー「キンスキー わが最愛の敵」で語られていたが、彼には一度怒りのスイッチが入ると誰にも手の施し様がない一種の精神疾患があった。
撮影時、原住民ともトラブル続きだったキンスキーに対し、「今すぐあいつを殺してやろうか?」と原住民がヘルツォークに提案したとの仰天エピソードもあった程だが、ヘルツォークはそんな彼をコントロール出来た唯一の理解者であり、キンスキーに対する深い愛情を持っていた。
まさに最愛の敵。
そんな2人の関係性を知って観るのと観ないのとでは、感動が一味も二味も違ってくるだろう。

急流シーンの船はミニチュアだと観ればわかるものだったが、
それ以外は全て本物の映像である事によってこれ以上のものなど誰にも作れはしないと言う、ある種の絶望にも似た感情に深く打ちのめされた。
蒸気船が山越えし、オペラの調べと共に激流に翻弄されボロボロになって傾きながら、結局は元に戻って来ただけなのだが、そんな解釈さえも余計だと感じる。
それは普通ならやっとの思いで山越えしたかと思えば、急流に飲み込まれ砕け散る蒸気船を予想してしまうところだが、その予想を上回るラストシーンがあったから。
船上でのオペラと、葉巻を加えながら赤いビロードの椅子の側で満足気に笑うキンスキーがあまりにも美しく涙が溢れた。
いつもの彼より10倍は格好良く見えるこのシーンが私は大好きだ。
死ぬまでに観たい映画を今観る事が出来て良かった。
Sari

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