松井の天井直撃ホームラン

時をかける少女の松井の天井直撃ホームランのネタバレレビュー・内容・結末

時をかける少女(2010年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

☆☆☆☆

このシリーズの凄いところは、基本的な設定・ルールをそのまま生かして、その時々に合わせた新たなストーリーを構築しているところ。
それぞれに違った味わいが有るのが大したものだと思う。

角川3人娘の末っ子として売り出す為に製作された原田知世版。まだまだ彼女の知名度自体が無かった為に、当時は薬師丸ひろ子と松田優作主演の探偵物語との2本立てで、初日の舞台挨拶も、薬師丸が華やかなフラッシュを浴びていて主役だった。あの時同じ舞台に原田知世が立って居たのかどうか?その記憶すら危うい。
所詮『時をかける少女』は添え物扱いだったから…。
それが長い年月をかけてジワジワとカルト的な人気を受ける様になるのだから!

2006年、新たな《時かけ》伝説がアニメ化によってもたらされる。
上映終了直後、劇場を出る若者達(寧ろオタク族に近い感じの…)が全員、怖いくらいのテンションで誰彼構わず(そんな感じに見えた)感想を話し始める異常とも思える雰囲気には圧倒された。

あれから4年。更なる《時かけ》伝説は果たして起こるのだろうか?

結論から言えば、おそらくそれは無いかも知れない。
何故ならば、原田版。アニメ版。そして今回と、常に《切ないラブストーリ》なのは同じ。実は原田版の予習を怠っているので、アニメ版との違いで考えて見る。
アニメーションとなるとちょっとした考え方の違いだけでも、物凄い反論をされたりする事も有るので、予め“あくまでも個人的な意見なので”と、先に断っておきます。
笑って笑って、最後に泣かす。複雑に絡み合ったストーリーに、巧妙に貼られる伏線。
何よりも2人の感情の盛り上がりから、「行け〜!」や、「絶対会いに行く…」※1
等の名場面を生んだ。“恋愛ど真ん中”で描かれた男女の恋愛劇。
そんなアニメ版と比べると、今回は分かり易さを追求した普通の娯楽作品を目指している。だから数多い伏線は、それ程巧妙には仕掛けられていない。寧ろ呆気ない位に画面に提示されたりするので、構成上の深みは無い。いや、どちらかと言えばそんなオタクの心を虜にする様な要素は、初めから拒否している感じにも見受けられた。
但し、肝心の母親がどうしても《深町君》に伝えたかった気持ちは、映画を観終わるとそれ程観客にその意図は伝わり難いし、主人公の少女がどうしても知りたかった父親の存在。その父親と母親との、一見『バック・トゥ・ザ・フューチャー』になりそうな設定すら、どこか中途半端なまま終わらせてしまっている感じなのは勿体無い。

1974年とゆう時代設定を知っていると、より楽しめるのは間違い無いところでは有ります。「ああ!そうそう!!」…と。
こればかりは年寄りの特権ですな(1972年だと、ブルース・リーのポスターは貼れないのですよ!)※2
原田版にはその過去の描写はそれ程重要では無かった様な記憶が有るのですが、なにぶん確認をしていない。
アニメ版は寧ろ時代に逆行した様なグラフィックが、ひと夏の陽炎の様に多くの人の感受性を刺激していたと思う。
今回の時代設定による違和感は、観る人によって様々な反応が有りそうな気がする。
予告編で使われていた携帯等の小道具は、(写真機能等)もっと上手い使い方が有るだろうし。
今の若い人にとっては、当時の風俗的描写は、アニメ版の反応に比べたら低いだろう…と言った推測は容易い。
(8ミリの撮影中に映り込む室外機が思いっきり最新式だったりするのには、敢えて目を瞑ろう)
また、相手役の中尾明慶の“未来から来た人”に対する反応がすんなりし過ぎている…って言うか、まぁ!彼のキャラクター設定が、映画ファンの心をチクチクと刺激する元祖オタク系だから、許せる範囲では有りますが…。

映画の冒頭に映る蟻。母親が密かに開発した薬で有る出来事が起こる。
ラベンダーの匂いに隠された1972年の思い出。

《歴史を変える事は許されない》

タイムリープに課されたルールの掟は守られなければならない。
その為に主人公のあかりには、悲しい現実が最後には待ち受けている。

しかし、本当に歴史は変えられなかったのか?
映画本編の描写には描かれなかったのだが、実際には歴史はほんのちょっぴり変えられていたのだ!
冒頭の蟻の○に、僅かにヒントが隠されていた。
蟻は問題じゃない。蟻の○も本当は問題じゃない。
母親が作り上げたタイムリープの薬の○は、蟻の○にヒントが隠されていたのだった。それによって命を救われた人物が居た事実。
母親は、《彼》から写真を渡された事で記憶の糸が繋がり、急いで“1974年”へ飛んだ筈なのだ。だからこそ帰り道では、《深町》くんに“その罪”を告白する為に、初めて出会った1972年に飛びたかったのではなかったのか?
だからその○しか薬は作っておかなかった。
歴史を変えてしまい。その罪を告白し、今の時代に帰って来られる為には、その○だけの薬がどうしても必要だったのだから。だから残りの薬でどうしても…。

だから、そのメッセージを娘に託したのでは?

アニメ版の様にお互いの「好き」とゆう気持ちを確認する様な事は無い。
あくまでも、気持ちを伝えたいけど伝えきれない…その2人の“切ない想い”が映画の中盤からどんどん増して来る。

“もう2度とは会えなくなる”

その想いが胸を強く締め付けて来る。
それをより鮮明に浮き上がらせるのが、最後に伝わった一行の慎ましいまでのメッセージ。

好きな人と同じ時代を共有したいのに、それが叶わない。
同じ時代を生きてはいけないとゆう掟。

だからどうしても「好き」とゆう一言が言えない。

想いだけがどんどん増幅されて行く。2人の慎ましい恋愛事情。※3

だから最後の、8ミリに映し出された彼女の後ろ姿には、本人同様の涙がこのシリーズを観て初めて流れた。

やはり仲里依紗は、若手の女優さんの中に有って、抜群の演技力が有る事を確認出来る。

だから個人的にはこう叫びたい…。

「この《時かけ》が一番好きだ〜!」

※1 「絶対会いに行く…」→「未来で待ってる」でしたね。全く忘れっぽいな俺は…まぁいいや、残しちゃえ(汗)

※2 以前レビューを書いていたサイトにリンクしていたサイトには、『ドラゴン怒りの鉄拳』等のポスターが、1974年2月の時点で手に入り、部屋に貼られているのはおかしい…との指摘があり、「嗚呼!確かにそうかもしれないなぁ〜」と思った。『燃えよドラゴン』の公開が確か1973年の12月で、延々1年間のロングランヒットとなり、『ドラゴン危機一発』。続いて『ドラゴン怒りの鉄拳』と、公開が続いて行く訳だから…。
まぁ、個人的には大騒ぎする程でも…とは思うんですが。

※3 数年後に作品のファンには大サプライズが待ち受けていたのであった。

(2010年3月15日新宿ピカデリー/スクリーン6)