SANKOU

二十四の瞳のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

二十四の瞳(1954年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

巨匠木下惠介監督作品の中でもおそらく一番の代表作に挙げられるだろう名作中の名作。
全体的には悲劇的な要素が強いのだが、観終わった後に何故か心が洗われるような思いになるのは、全編通して流れる子供たちの歌声が清らかだからだろう。
そして、特に小豆島の分教場に赴任した新米教師の大石久子と十二人の児童たちとの交流を描いた前半の場面の鮮烈さ。
久子が児童たちの名前を読み上げる場面の純真な子供たちの表情のアップと小豆島の遠景ショットが印象に残る。
この前半の印象がずっと残り続けるからこそ、ラストに大きな感動に繋がるのだろうと思った。
構成も完璧でひとつひとつの演出に無駄がない。
個人的に前半で好きだったのは、男子の悪戯のせいで骨折してしまった久子を子供たちが見舞いに訪れる場面だ。
次第に疲れと空腹によって泣き出してしまう子供たちが、それでも久子の元へと向かう姿はとても健気だ。
子供たちはとてもキラキラと輝いて見えるが、彼らの多くが家庭に大きな問題を抱えている。
特に貧しさがこの映画の根底にはあり続ける。
そして迫り来る戦争の影。
洋服姿で自転車通勤をする久子を、眉を潜めながら眺める大人たちの態度には閉鎖的な田舎の環境と時代を感じさせられたが、戦前の写真などを見ると案外モダンな格好をした日本人は多かったのだと気づかされる。
それが戦争が近づくにつれて徐々に地味で質素な格好を強要されるようになる。
初めは洋装だった久子も、結婚してからは袴姿になり、やがて戦争に突入してからはもんぺを履くようになる。
それは徐々に本音で話すことを抑圧されていく彼女の内面を表すようでもあった。
そして貧しさと戦争によって子供たちの未来も閉ざされていく。
特に母親が亡くなった後に奉公に出されてしまう松江のエピソードに胸が痛くなる。
母親は出産後に亡くなるのだが、程なくして産まれた赤ん坊も息を引き取る。
とても悲しい出来事なのだが、父親にとっては赤ん坊が生きている方が重荷だったのだろう。
報せを聞いた久子もお悔やみを述べながらも、心の底から気の毒に思えない複雑な表情を浮かべる。
修学旅行先の食堂で久子は奉公に出された松江と再開する。彼女は久子の前では感情を押し殺すが、ついに耐えられなくなって店を飛び出してしまう。
楽しそうにはしゃぎ回るかつての同級生を、悲しみの目で見送る松江の後ろ姿がとても印象的だった。
そして月日は流れ戦争が本格化し、男子は兵隊に取られていく。
最初は童謡や『荒城の月』『あおげば尊し』だった子供たちの歌声が、兵隊を見送る軍歌へと変わっていく。
幸せになるための障害があまりにも多かった時代。
なかなか今の価値観では理解できない部分も多い。
何より戦争で身内の者を亡くした時の悲しいという、今なら当たり前の感情を押し殺さなければならない時代の狂気を強く感じさせられた。
久子は日本がどのようになっても自分の信念を貫き通そうとする。
どれだけ綺麗事で飾ろうとも戦争で大切な人を失いたくない。
彼女の子供たちがそんな久子を意気地無しと罵るのは何という皮肉かと思った。
長男の大吉はお国のために戦死することは名誉なことだと心から信じてしまっている。
戦争が終わり、価値観はまた大きく変わっていく。
久子の末娘がひもじさのあまり柿を取ろうとして転落死した時に、彼女は声を上げて泣く。
夫が戦死した時は悲しみを堪えなければならなかった。
物語は再び久子が分教場に戻る場面でクライマックスを迎える。
新しい教え子の中には彼女が最初に教えた児童の子供もいる。
すっかり涙脆くなった久子は、かつては「小石先生」と呼ばれていたが「泣きみそ先生」と呼ばれるようになる。
子供たちの歌声はいつの時代も変わらず屈託がなく清らかだ。
久子が最初に教えた12人の児童たちは7人に減ってしまった。
その中でも苦労を重ねた松江が久子に会いに同窓会に戻って来る場面は感動的だった。
かつての児童たちに贈られた自転車に跨がり、分教場へと向かう久子の姿で映画は幕を閉じる。
余韻がいつまでも残る作品で、個性豊かな子供たちの一人一人がとても印象に残った。
物語の中で子供たちは成長していくのだが、成長する前の子供と成長した後の子供が同一人物だと思えるぐらいにそっくりだったのは驚いた。
よくもここまで似たような子供を見つけて来たものだ。
もちろん久子役の高峰秀子は文句無しに素晴らしかった。
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