【言葉と手触り】
まず猫がいいですね(笑)。
ちゃんとキャスト表に「Topper…The Cat」と入ってます。「猫ざわり」の感触で、本作の魅力を端的に伝える役どころ。
視覚、聴覚の次に、この映画は触覚を柔らかに刺激してきます。これは言葉から始まる恋心が、育ち触れ合いを求める様を、美しく補足してもいます。手紙からキスへの距離感が、なんと繊細に映ることか。
本作、詩人キーツより、恋人となるファニーに寄ったお話なんですね。正直、キーツを前面に据えても地味じゃないかと思っていたので、この選択でとても面白くなったと思います。
キーツの来歴を曖昧にしたため、彼の悲劇性が単純化され、若干、少女趣味ぽく見える弱みは感じましたが。医学から詩人の道へと決意を固め、もう他に選択肢がなかったろうことや、遺産管理人との確執なども触れた方が、物語に厚みが出たとは思います。ファニーにしたら「そんなこと誰も気にしてない」となるのでしょうが(笑)。
ファニーは、形あるものを媒介として世界と触れてきた女性。裁縫が得意で、自分を装うのが好きで、自分の身体を使うダンスが好き。
だからそんな彼女の、手の動きが面白くて、ずっと気になっていました。針と布ばかりを追っていた手が、恋を知ってどう、行き先を変えるのか?やがてある事件で「魂を失う」手の、ゆらゆらした彷徨いが強烈でした。
一方、キーツは、言葉を媒介として、形のない世界に没頭してきた男。
ネガティブ・ケイパビリティ(不可解なものを受容する能力)という、キーツ独自の概念は、私には難しいのですが、その一端に共感はできます。
詩作について語る「湖を泳ぎ渡ることより、水を感じること」という例え。自分をセンサーのように研ぎ澄ませて世界に触れ、それを言葉で出力する。ファニーと違い、自分の身体は中継点。「歌うこと」も象徴的でした。
そんな違いを持つ二人、互いにないものを求め、惹かれ合ったのでしょうか。彼らが距離を縮めてゆく一瞬一瞬が貴重で拾い甲斐あり、可愛らしくもあり。ベッドと樹の上。幸福感の頂点で、二人の違いを対置する寝姿が微笑ましい。
ファニーは言葉の力を得て、恋心をバネに心を跳躍させるようになる。しかし、飛んだまま迷子にもなったりして。かたちがないから制御できない。
キーツは未知だった手触りや温もりを得て、詩作にそれを反映させる。題名となった詩篇のヒントになったのでは? と思い込む程気になったのは、「ファニーの乳房で温められた鍵が、キーツの欠片が詰まる箱を開けた」こと。詩篇「ブライト・スター」に顕れる、柔らかな触感と官能の始まりはここなのか?
本作における詩は、コミュニケーションツールのようでした。それが端的に顕れるのが「つれなき美女」の朗読デュエットでしょうか。恋人たちの距離に、誤差がなくなった一瞬。詩の映像化というより、詩の浸透で変わる世界が、フィルムに定着される。
しかしキーツの詩、そのものの力を実感する場面もきちんとありました。朗読という行為で「喪の仕事」がみる間に進んでしまうことに、撃たれました。
そして、「言葉と手触り」をずっと気にしてみていたら、キーツが最後、ファニーに語る台詞を見事、それで締めており、静かに泣けたのでした(笑)。
役者さん他についてもまだ色々書きたいのですが、このへんで終わります。が、ファニーのおしゃまな妹ちゃん、あの不思議な可愛らしさは必見ですね。
<2010.7.8記>