いつまで続くかわからないが、せっかく定時帰りの仕事に転職できたので、一日一本映画生活を始めてみることにしてみる。
しかしながら、ピンチョンの『重力の虹』が面白くて仕方ないので、こちらに時間割いて三日坊主にもならないまま終わってしまうかもしれないが。
新聞社に手紙を送るMの背中のショットがあれば、新聞を眺める市民たちの背中のショットもある。背中越しにつながるこのショットは対面の形で実を結ぶことになる。だが、Mと対峙するのは市民ではない。裏社会の私刑団による偽裁判だ。ロングショットで向けられた視線は、被害者たちの怒りの換喩には至っていない。裏社会の人間たちは私利私欲のためだけにMを捕まえてるからだ。
また、判決を下す裁判官と対峙するのもMではなく娘を殺された母親たちだ。そして、母親は判決の興味よりも後悔の念を述べるだけだ。両シーンとも切り返し的に交互に挿入されているが、なんとも釈然としないもの同士の組み合わせだ。映画の中で解決を放棄している。
この、組み合わせの釈然としなさは他にも見られる。例えば、俯瞰と仰角の関係だ。本作では俯瞰ショットが多い。それもかなり印象的に用いられている。対して、ローアングルは警察官の股間を強調した奇妙なショットに留まる。
拍子抜けを意図的に用いることで技巧の一種にまで押し上げる、ラングの偉大さが窺い知れる。