昼行灯

神々の深き欲望の昼行灯のレビュー・感想・評価

神々の深き欲望(1968年製作の映画)
3.8
土着文化と資本主義の対立のように見えて、実際はどちらも神と金という不在の本質の上に成り立っているという共通性を説いた作品なのでは、、ラストで本土から島に帰ってきた亀太郎の苦悩がそれを物語っている。

神々の深き欲望とは実際は人間の持つ欲動そのものであり、その分からなさは人間を不安にさせる。そのため、シニフィアンとして象徴界たる神と貨幣を機能させているのでは。結局神々の欲望と口では言っておきながらも、実際その深層には人間の欲望が根ざしているのだ。

南国の島をロケ地とし、海の青さや緑の鮮やかさが画面の大部分を占めている。登場人物たちも汗をかき、日に焼けており健康そうに見える。大自然、未開の地といったオリエンタリズムを強調することで、島人が実は策略を汲んでいるという事実が驚きをもたらす。島人がオリエンタリズムに反するような行動に出た時、人工的な照明が島人を照らす。島人は頭が弱いというステレオタイプもまた、自分たちが優れていたいと思う本土の人間の欲望に起因している。
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