昼行灯

悪は存在しないの昼行灯のレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.0
・自然の脅威と恵の二面性が作中では中心的に描かれていた。鹿猟の音画面外から響いてきたり、銃にやられた鹿の死骸が山中に転がっていたり。自然の中でならやって行けそうと思う芸能プロダクションの男も、実際に自然を前にすると無力だった。自然を前にしては無垢な子供でさえも殺されてしまう。花を助けようとした芸能プロダクションの男を倒す巧もまた悪ではなく正義だが、最後までそのことはおそらく芸能プロダクションの男にはわかってもらえなかっただろう。まさに悪は存在していない。巧と花が森のシルエットに溶け込んでいくようなラストは、2人が自然に還っていくような感じがした。

・ルノワールの本読み技法を今作でも使っているのか、役者の悪く言えば大根役者っぷりが気になった。でも、それこそがまさに濱口竜介の狙いであり、実際巧の性格に合ってると思う。演技が板についていなくても、全く演技しない、不自然というのは人間としてありえない。ぶっきらぼうだけど、たまに滲み出る自然な演技に巧のキャラクターとしての優しさを感じる。それは開かれていて恵にもなるが脅威にもなる自然のあり方とも似ていると思う。だからこそ、自然に還る巧と花のラストにはうなずける。

・ドライブマイカーに引き続き車が重要なモチーフだった。車は芸能プロダクション2人がわざわざ山奥に来るという点で、また山奥の人々が各家に集うという意味でも親密性を表している。反対に、芸能プロダクションとコンサルは遠隔のzoomで話している。オレンジも都会の人らしくマッチングアプリで安泰を得ようとしているが、そうした出会いよりも次第に自然に惹かれていく。自然について当初から学ぶべきという姿勢でいる芸能プロダクションの女の方は、そもそもマッチングアプリを怖がっている。コンサルはこの後もオンライン会議があるといって対話をやめる。車は人と人との物理的および社会的距離を近づけるための手段である。反対にオンラインの画面を通じたコミュニケーションは疎外を引き起こし失敗してしまう。
車はドライブマイカーでも親密性を表していた。だが今回は車内外の位置関係というよりも、車が人を運ぶことそのものに意味があったのだと思う。車内から車外を望む移動カメラが頻繁に映されていて、山の中にある人々の暮らしという感じがした。車が親密性を象徴するってロードムービー以外ではあまり描かれなかったのかなと思う、けど今作は車が移動する過程よりも車が到着した先での人のかかわり合いを描いた点で新しいのでは。あと今回も煙草のコミュニケーションが多く描かれていたけど、煙草を吸わない芸能プロダクションの女の前でも吸うのはよくなかった🙂‍↔️

・まとまりのないエンディングというのが結構衝撃的だった。グランピング場はどうなるのか?芸能プロダクションの男のその後は?芸能プロダクションの女のその後は?本当に花は死んだの?等考えると2時間半くらいで作ってしまいそうなもの、、あと花のお母さんについても示唆はされてるけど、彼女に対して花と巧がどのような思いを抱えていたのかは説明されてなかった。花が死んだとしたら、巧は一人で山の人々と関わっていくことになるのか…ともあれ、このような開かれたエンディングは山のようなものだよなとも思う。音楽も重低音からはじまり高音のメロディが流れていくのは、川の流れを思わせた。自然を自然以外のもので表現するのはすごく詩的なこと。

・あとコロナとか、マッチングアプリとか、補助金とか社会的な事象を物語に練りこみつつ、自然や異なる領域の人といった他者との共生という大きな主題を中心に据えるのは本当に天晴れ。この前鈴木清順は社会に対する批判検討を三部作でしなかったという文章を読んだから胸にくるものがあったね…

❋面白かったショット
・ワサビの主観ショット(急に巧がカメラの方向いてきて怖かった)
・芸能プロダクション社長が背後の絵と同じポーズをとっている(社長の権威)
・森の中で空を見上げる長回しが昼と夜2回出てきたこと。昼は木漏れ日が綺麗だけど、夜は暗くて何があるかよく分からなくて怖い。自然の二面性
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