kojikoji

8 1/2のkojikojiのレビュー・感想・評価

8 1/2(1963年製作の映画)
3.7
フェデリコ・フェリーニの代表作として知られる自伝的作品。
最後、やっと、ちょっとわかった。
良かった。⤵︎
1/8ぐらいはわかったんじゃないだろうか?
最初、なんだこの映画は?と思い、途中仕事疲れもあって、二度寝落ちし、元に戻って観直して、全部観て、なんとなくだが、わかった気がした。わかった気がしただけかもしれない。この映画を観るのにフェリーニ監督以上に苦悩した😅

#1423 2023年 454本目
1963年 イタリア🇮🇹映画
 一流映画監督のグイド(マストロヤンニ)は、新作の構想に行き詰まってしまいクランクインを2週間も先延ばしにしていた。療養のため温泉地を訪れるグイドだったが、女性たちとの関係や仕事上の知人たちとの現実に悩まされ続けるうちに、様々な夢や幻が彼の前に現われるようになり……。

仕事も、女にも、夫婦仲も行き詰まり、妄想と思い出が彼の脳をぐるぐる回っている。
フェリーニの苦悩はそのままグイトの苦悩として描かれる。

せっかく湯湯治に来ても、役を欲しがる俳優達が、映画関係者が彼を追い回す。夢の中には両親まででてくる。小さい頃と思い出が彼の脳を駆け回る。

妻ルイザがやってくる。迎えに来てくれた彼を見つけて微笑む妻(アヌーク・エーメ)ホッとしたのも束の間、夜になるとこの雰囲気は急変する。二人は険悪になったままベッドで背を向け合う。ルイザは自分を呼んではやり直そうとする夫を糾弾し、自分に何を求めているのかと叫ぶ。
そんな関係なのかと、この時分かる。当然のように夫婦仲までおかしくなっているのだ。


ここからはネタバレ注意⚠️
例によってわからないので、書きすぎてる可能性あり。


クラウディア役のクラウディア・カルディナーレの登場はこの映画の中で女神のように見える。だってあとは変なおばさん、おじさんのオンパレードでこちらの気持ちまで殺伐としていたところに登場するから、そう思わざるを得ない。これをフェリーニ監督は狙ったに違いない。
結局、クルドはクラウディアも受け入れないのだが、
この二人のやりとりも、正直わからなかった。

ピストルをこめかみに当てて自殺するようなラストのシーンは果たして現実に死んだのか、それとも映画を中止し、これまでの生き方に別れを告げたという意味なのかよくわからない。私は後者でいいと思うのだけど。

その後、撮影の中止が伝えられ、セットは解体され、グイドは別れを告げ車に乗り込む。
ここで、これまでの登場人物が全員真っ白の服を着て歩いている。意味があるのだろうが、わからない。

そして車の中でグルドが語る。
「突然 幸福を感じて力が湧いてきた。
女性達よ 許してくれ、やっとわかったのだ。君達を受け入れ、愛することは自然なことだ。ルイザ、自由になった気がする。すべてが善良で有意義で真実だ。説明したいができない。すべてが元に戻り、すべてが混乱する。この混乱が私なのだ。夢ではなく現実だ。もう真実をいうのは怖くない。何を求めているかも言える。生きてる気がする。恥を感じずに君の目を見られる。人生はお祭りだ。一緒に過ごそう言えるのはこれだけだ。」

理解するために一番重要と思われる言葉を書いてみた。
これが結論であることは間違いない。これを読むとわかった気になる。
監督はこれで吹っ切れたということだろう。

(379)
kojikoji

kojikoji