安堂冷罵

炎628の安堂冷罵のネタバレレビュー・内容・結末

炎628(1985年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

無惨な戦争の記録を描き上げているけど、『炎628』は反戦映画ではありません。戦勝40周年を記念して、ソビエト政府に制作任務を受けたプロパガンダの一種です。その一方で、物資不足が市民を襲う形で共産主義の失敗が明らかだった1980年代ですから、クリモフ監督は違った形でメモリアル映画を撮りたかったのだと思います。

残されているインタビュー映像で、クリモフ監督は「同じ1943年にポーランドで起こったカティンの森事件については誰もが知っているのに、628もの村が、その住人共々焼かれたというベラルーシでの虐殺は誰にも認知されていない」と考えていたことを語っています。クリモフ監督はモスクワ生まれで、モスクワで攻防戦が行われていたときは、8~9歳の年齢でした。その幼い戦慄の記憶から、撮影時には13歳で演劇経験がなかったアリョーシャ・クラフチェンコを主役のフリョーラ役に選び、彼の目線でリアルに、かつ淡い記憶の中の悲惨な戦争の中の一コマを、シュールな悪夢のように描くことにこだわったのかも知れません。

この映画はほぼ時系列で撮影されており、徐々に冬の到来が感じられるとともに、ナチス進攻の陰惨さがフリョーラ少年を精神的・肉体的に追い詰めていきます。今では、というか当時でも考えられないことですが、その撮影の9か月間、アリョーシャ君には過度のリハーサルや食事制限によってストレスを与えることで、白髪も生えて顔が皺だらけになっていきました。あれは特殊メーキャップではありません。第2次世界大戦当時の衣装を着て、当時の火炎放射器で家を燃やし、本物のマシンガンを役者の方向にぶっ放して、さらには牛まで射殺しました (この牛は病気で、処理される前のものを引き取ったとは追憶されていますが)。クリモフ監督は、そこまで“戦禍のリアル”に拘りました。

『炎628』は、映像言語という観点からみると、かなり意識的に言語が破壊されています。まるで、見ている人に訴えかけるかのように、フリョーラや少女のグラーシャほかのキャラクターたちが、時には何も語らずにじっとカメラにクロースアップで目を向けています。シーンのほとんどは、どんよりとした曇空の下で、しかも森の中でも自然光のままで照明を使わずに撮影していますから、映像は非常に荒いですが、その反面、役者たちの瞳孔が良く開いていて、彼らの恐怖心や混乱、失望が伝わってきます。「この地獄絵図を、しっかりと見てるか?」と訴えているようです。

この映画の原題 (英題ではCome and See)は、ヨハネの黙示録で、四騎士たちが降臨してきた際に語る「来たれ、そして見よ」というセリフから採られたものですが、元々は「ヒトラーを殺せ」というタイトルにする予定だったそうです。しかし、ベラルーシのパルチザンがヒトラーの命を狙う話しでも、結果としてロシア軍がベルリンを占領してヒトラーを自害に追い込む史実を賛美しているわけでもありません。フリョーラは、クレモフ自身であり、戦争を忘れかけた人や、知らない現代人でもあります。グラーシャは、「戦争によって失われた、郷土の美しいもの」を具現化したものと言えるでしょうか。途中、グラーシャが「私は存在するのよ」とか「フリョーラは何も聞こえないし見えないの」と叫ぶシーンが神懸っている様子なのも、戦争の惨さを忘れかけた現代人への問いかけと取れます。

ヒトラーを「心の中に芽生える悪魔」として抽象化し、ヒトラーさえも無垢の赤子であった時代があり、ヒトラーのように人間性を失ってはいけない(もしくは、ソビエトの防衛戦争には人間性がある)」ということがテーマだったのではないでしょうか。それが、ナチスの将校や裏切者たちを、自分たちの女子供が受けた仕打ちと同様に焼き殺さないというパルチザンの判断にも表れているように感じます。この映画では、加害者がケダモノのように描かれ、さらに被害者もケダモノのように扱われますが、最後にフリョーラは、家族が殺され、恥辱を受け、精神的に破壊しそうな自分には、赤ちゃんを撃つようなナチスのケダモノたちとは違う意識が根底にあることを悟り、意気揚々とパルチザンの列に加わります。戦争は、ここからまだ2年も続いたことを忘れてはいけません。

クレモフ監督はあまりにもリアルに拘り過ぎたため、撮影の後半ではアリョーシャ君の精神状態のケアに気を使ったそうですが、栄養失調のため短期的な白髪頭になって学校に戻ってきたのをクラスメートに笑われた以外はすくすくと育ち、その後は演劇を続けて最近でも『異端の鳥』(2019年)に出演しています。クレモフ監督は、この後は1本も映画を撮っておらず、のちに「自分が映画でできることは、もうやり尽くしてしまった」と語っています。これほどリアルにこだわり子役さえも精神的に追い込んだ映画というのは、もう作られることはないはずで、その点でも『炎628』は希代の戦争映画と言えるでしょう。
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