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群衆のkiritoのレビュー・感想・評価

群衆(1941年製作の映画)
4.3
【人が群衆となったとき、良くも悪くもその力は侮れないものとなる。】

素晴らしき哉、人生!のフランク・キャプラを語るためにはこの作品を観るべきだという噂をちらっと聞きつけて、観てみました。
(といってもまだ語れるほど観てないw)


思うに、映画って監督の想いが詰まってるわけですが、この作品は深く難しかったです。


あらすじ↓
クビになりかけた女性記者アンが起死回生の策として、一人の架空の自殺志願者を創り出す。それは、社会に絶望して自殺するという政治に対する抗議の自殺を主張する手紙によって作られたものだった。この記事は波紋を呼び、アンたちは架空の人物ではなく、募集によって(名無しの権兵衛=ジョン・ドゥー)という人物を作り出すことに成功した。その彼は自殺の期日を定められ、その動向を日々追われ、彼女の新聞記事となっていくのだが実はそこには大きな陰謀が渦巻いていて・・・


わずかながら私の持っている情報は、フランク・キャプラという監督は希望や勇気を与える監督であり、アメリカの良心を描き続けた(らしい)。


物語の大半は群衆の力が良い方に傾いた場合について割かれ、嘘の手紙の内容に賛同する人間について描く。
逆に、群衆が集まったときの恐怖(悪い方)は大公会堂の場面で現実のものとなる。


今作が面白いのは【人間の信頼と不信】が描かれている点にあると私は思う。
劇中、幾度かの場面で【人間の信頼】が描かれるわけで、そこには希望がある。
いわゆる、人間の善の部分が描かれる。


しかし、逆にこの信頼はたった一つの嘘・過ちで簡単に崩れ去ってしまうことが多い。
それが【不信】の部分。
今作では上述のとおり、波紋をよんだ上述の手紙は架空のものだったのであり、これが嘘の部分だ。


この【人間の信頼と不信】が個々ではなく、群衆となり、束になったときその力は【凶器】となる。

相当のキャストを動員したであろう大公会堂の部分は映画史に残る悲惨なシーンとなるが、このシーンはやはり圧巻。
それまで積み上げたものが一瞬にして壊れるのだから。
まさに信頼の建設は死闘であり、破壊は一瞬なのである。


最後の終わり方は、絶望の中にも希望があるという、なんとも不可思議な終わり方だったが、映画を観たといえる重厚な終わり方になっている。


主演のゲイリー・クーパーの演技も素晴らしかった。
当時、日本でもきっと話題の人だったのであろうことは、先日見た【晩春】からも明らかである気がする。


決して大衆向けの映画ではないし、娯楽作品となる映画とは言えないけれど、たまにはこういう映画に触れることも今後一つの映画を観る上で大きな要素になるんじゃないかなと思います。


2016.1.18(雪の日)
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