もりひさ

横道世之介のもりひさのレビュー・感想・評価

横道世之介(2013年製作の映画)
4.8
気晴らしに映画でも観ようかな。
なんて思うことがなくなった今日この頃。
このセリフの意味は?このシーンは物語の中でどう解釈すれば良いのだろう?結局、この映画は何を伝えたかったんだろうか?
といった具合に、知らず知らずのうちに意味や価値を求めて映画を観るようになってしまい、面白いと感じる以上に疲れることが多くなってしまったから。

ルーティーンライフとして、半ば強制的に映画を観ているのが正直なところ。ゆえに2時間40分という上映時間の長さに思わず長ぇよと愚痴をこぼしてしまったが、観終わった頃には、まだまだ見せて!横道世之介と周りの人たちとのエピソード!短い短い!もっとほっこりしたい!と、また違う愚痴をこぼしていた、、、笑

横道世之介と彼を取り巻く人たちとの交流が、淡々と映し出されている。これといったドラマも事件(あるにはあるが)もない。オフビートでもない。かといって熱量もない。特に言うことが見当たらないのに、なぜか笑顔になってしまうという不思議な映画。

横道世之介には、好かれようとか嫌われたくないとか、人間の邪なところを一切感じさせないのに、すごく人間的だと思わせる何かがある。
そもそも、好かれようとか嫌われたくないと思ってしまう、人間を人間たらしめる、この醜い(けど大切な)感情は一体何だろうか。今まで考えてきて、頭に引っかかった諸々を引用(出典は割愛🙇)させていただくと、

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嫌われることが怖い人は、相手の人格を認めていない人である。自分に好き嫌いがあるように、相手にも好き嫌いがある。

嫌われるのが怖いと思うのは、今の自分は嫌われてないと思い込んでるから。もうすでに嫌われてるかもしれないんですよ。嫌われてないと思ってる傲慢さがあるんですよ。

嫌われてもいいわ。
ただし、嫌われたら深追いしないこと。
そう割り切ってると、不思議と好かれることが増えるのよ。
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といった具合になるが、これらの点を線にすると、自分にも好き嫌いがあるように相手にもそういった感情が当然あるものだと考えると嫌われるのが怖いなどと思わないはず、それでも嫌われるのが怖いと思ってしまうのは自分は多くの人から嫌われるような人間なわけがないという傲慢さのせいだ、だから嫌われても余計なことを考えず漫然と過ごせば良い、ということになるのか。

嫌われてしまったら、こちらとしてはどうすることもできない。相手が自分をどう思うかはそう思ってしまうその人の問題だし、他人の心は自分がコントロールできるものではない。
たとえその人が感じる、自分に対しての至らない足りない点を直して自分が変わってみたところで、それに対してどう思うかはやはりその人の問題。違う誰かの目に映る自分は必ずしも同じとは限らないから。
だから、自分に対して、嫌になったらいつでも拒絶できるという選択肢を持っている相手のためではなく、嫌になっても別れることができないという一択しかない自分のためにも、好きなことを見つけて、毎日を楽しんで過ごせたなら。そんな日々の中で自分を少しは好きになれたなら。1人でいても淋しくない場所を見つけることができたなら。もうそれで良いかも。

だって、こう思われてるからこういう風に思われたいと、不本意ながらもそれだけのために言動を変えていくだけの毎日って、なんだか虚しい。なぜならそこに本当の自分の思いはないし、変えたところで心が動くかどうかもわからないから。自分が他人にあまり興味がないように、他人も自分にあまり興味がない。恐らく自分以上に。興味をお互い持てたとしても、気持ちはいつも流動的。
加えて他者の自分への認識って、一緒に分かち合う時間も極端に少ないから、所詮なんとなくから抜け出せないし何かしらあったとしてもマイナスのことが多いし、そこからプラスに転じさせることなど容易ではない。他者の心を動かすって、そういうこと。合う合わないは、やはりお互い相手の問題。相手のことを知れば知るほど、自分のことを話せば話すほどわからなくなることもある。それならば、他者など気にせずに、未来は見えず過去すらいよいよ遠くなってきた、消え入りそうな自己をなんとかしていきたいのが正直なところ。

ゆえに無理に合わせるだけ無駄なのかも。好かれなくても良いから、嫌われないようにさえしとけば良い(それはそれで難しいが)。人と接するときは、お互いの違いを面白がれたらそれで結果オーライぐらいの気持ちで。それでどちらかが気が向いたら、歩み寄れば良い。
相手が自分をどう思ってるかじゃなくて、自分がどう思うかで全てが変わるのだから。自分の心は自分の自由だ(仕事ではそうはいかないけど)。
まぁでも、誰がどう見てもそれは大問題だろって言われるようなことには、ちゃんと毎日少しずつ地道に対処していきたい。貯金が少ないとか、仕事で迷惑をかけるとか、約束を守らないとか、嘘ばかりつくとか、タバコを吸いすぎるとか、保険に入ってないとか、政治に無関心とか、その他諸々。

そもそも、好かれたい気持ちと役に立ちたい気持ちは、全然違うな。何が違うかって、自分のためか相手のためか。なぜこんな当たり前のことに気がつかなかったのか。
というか、好かれたい、嫌われたくない、役に立ちたいと叫ぶには、俺はあまりにも至らなくて足りない。

いつもの如く、話が逸れる。映画を観て良かったと感じる瞬間は、こんな風に、自分の生きてきたあれこれと連鎖的に考えれるところ。自分のために。

誰もが皆、横道世之介的な部分を持ち合わせていたのではないだろうか。成長するにつれ、いつのまにか忘れてしまっていた何か、それが何かすらも忘れてしまった何かを、横道世之介という純粋で無垢な人物を思い出して、自然と笑顔になる。それは決して、あんな奴いたよね〜なんつってネタとして笑うような類いのものではない。では一体何だろうか。

映像での横道世之介だけでなく、活字での横道世之介に触れて考えてみよう。

あと、沖田修一監督の「子どもはわかってあげない」、高良健吾主演の「アンダー・ユア・ベッド」を観たいと思いました。
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