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エイジアン・ブルー 浮島丸サコン
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『エイジアン・ブルー 浮島丸サコン』に投稿された感想・評価

✔🔸『エイジアン·ブルー 浮島丸サコン』(3.3p) 及び🔸『走れロム』(3.3p)▶️▶️

この映画については、公開当時はピンク四天王に興味がいってて、全く知らなかった。黒沢もキャリアの早すぎるピークを迎えんとしてた頃だ。しかし、このスペースでの評価が、2. 4というのが凄まじい。確かめてないが、脚本山内久、監督堀川弘通の遺作か、それに近い頃の作だ。これは興味を持った。2.4なんてのは、いい悪いより関心が及んでない点数だ。
 海砂利水魚名義若い思わぬ2人は兎も角、やはり、2人の名匠の遺作に相応しい秀作に近い印象作だと思う。序盤、クレーンもドリーも前後·横·廻り込み上り滑る、カッティングやOLイメージも時に突出の、きわめて近代的なスマート·巧みさだが、モノクロの半世紀前の回想に入ると、昔ながらの楷書に戻る。時折機能的になるが、現在シーン戻り行き来も含め、描写は慎重になる。
 併せて、歴史ミステリーや倫理が強く張り詰めていた内容は、どうにもハッキリせず口籠り始める。戦争中の朝鮮半島からの大量の日本本土の建設工事他への強制労働者調達と、その非人間的な死の危険や飢餓への無配慮と·人権無視の暴力支配。朝鮮人にも、日本に対して従順に対立を避ける日本陸軍士官、労働者らの環境改善と団結·民族の誇りを失わせず信頼篤い班を越えたリーダー、らと分かれてゆき、後者が強まるが、それには殺人は有り得ぬと徴兵忌避で名前も変え労働管理の一員となってた日本人文化人の陰からの助力がはたらいていた。そして終戦、問題の種を追いやろうとする、杜撰な帰国船の仕立で、大きな事故が起こる。止められなかったを記憶から消せず、女が複数いると噂されながら、家庭の幸せに安住出来ず、行方も掴めないくらいに、戦後流浪と過去見つめ続けの生活を続ける文化人。
 それらが未解明の頃、在日の大学教授、文化人の娘2人が、父とその軌跡を追う旅に。教授と姉には愛が芽生え、父も見つけるが、認め合いながら·元の家族に戻るはポリシーの方向が許さぬ。
 日や在日俳優の選び·混合の仕方から、人間の裁きや意味あいにも、はっきりしない曖昧が続く。しかし、それが無理のない、本当の誠実さであり、そこから自発的な歩みが見つかる、と作品は言う。新井英一や佐藤慶の登場辺りから圧倒引き締まってくる。「何でも日本人は悪い、中国·朝鮮人は正しいは、おかしい」「日本人はすぐ忘れる国民だ。50年前の戦争で何をしたかををもう」「故国に帰っても家族はなく、生涯最高の幸せを味わえた、脱走中世話になった日本の家庭へ戻った」「民族は違っても男と女。民族の不幸な行き違いは、個人の関係から変えていけばいい」「(発見されなかった死体。)ずっと、後ろから問いかけ押してくる存在を感じ続けてる」
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 実際、民族の間の無理解は、汚染水処理を巡る双方勝手すぎの昨今含め、永遠のテーマだ。現在短期だが複数行われてるベトナム映画祭。未だに存在感示す旧作や旧映画後進いま突出国の物は、全て読破の人複数に聞くと『第三婦人~』が圧巻との事。せめて一本と空いてる時間でやってたのが『~ロム』。とにかくベトナム貧民街の汚れ方、捻れたパワーを、現在アメリカトップアクションも真っ青の、際立った秀才スタイルを貫いてくる。汚れ暗めの中でも、暗い緑や赤·ブルーの空気や光源·もやがスマートに存在うごめき、殆どが傾けた狭い構図で、手元捌きや出入りアクションのどんでん含む細かく鋭いカッティングあり、走るフォローや俯瞰全や90°横から通り過ぎら押さえ、スピードや映像腕力も万全。時折だった傾きのない図は、シーソー繰返し定着から増え、2つの橋での疾走比べや、列車襲い来るレール上大格闘とかわし、ら破天荒な伸びが拡大してくる。エピローグは更に脱色して、大人の諦観色となる。
 しかし、生や生活の土壌が絡む程に湧き上がってくるかというと、スマートな映画性本位、様々な粘着絡みはその前に削り、スマートな進行本位となり、社会教育目的的な説明序終が活きてもきてしまう。本国では拘る以前の周知実情かも知れないが。
 新開発·地上げの流れや罠にもはまってる貧民街、貧しさと未来の克服の為に、本来宝くじの下二桁を当てる違法賭けに、熱中·ヒートアップ·退廃の区画。賭ける人、仲介屋、賭け金借用の金貸し、胴元らを直に会わせず、高速に結びつけ、当たり番号速報や、当たる番号予想らでも稼ぐ、素早い少年らによる運び屋。相互争いや地区不良らとの軋轢も激しく、自己の夢や自ら賭けへも大胆進む事も。実際、今やグローバル化で映画リード·先進国など無くなってしまった事もわかる。
個人的には90年代の10年間は映画から離れていて、ほとんど見てない。浮島丸に関連してこんな映画があったことも知らなかった。

映画そのものは大戦末期から半世紀の父の生き方に想いを馳せる子世代のロードムービー。
無名塾の役者さんたちに佐藤慶、石橋蓮司、絵沢萠子、下條正巳、そして高橋恵子なんかのビッグネームと海砂利水魚のお二人が絡む豪華版。

ロードムービーだからとはいえ、ベテランたちがてんでバラバラの芝居で相互に関連しないので印象が拡散して「顔見世興行」っぽくなる。
石橋蓮司なんかはネイションアイデンティティを喪失した、とっても「得」な役どころなのに演技も演出も通り一遍で残念。
監督も、なんでこの方? っていう古い人ですしね。

海砂利水魚はポジション的には『幸せの黄色いハンカチ』の桃井かおりと武田鉄矢風。(まあアップは皆無だし、ほとんど演技もしてませんが)
絵沢萠子は安定の「いつもの」役、高橋恵子も。うーん、物足りない。

浮島丸事件(サコンて「事件」のことかな)への切り口に、ちょっとブレがあったということかしら。またいろいろと読んでみようという契機になったのはありがたかったです。
反日映画とかじゃなくて、もっと歴史のひとつを学ぶ的に見ればいいんだと思う。すぐ反日とかvs朝鮮とか思想うんぬんになっちゃうけど、そんなうがった見方、しない方が、素直に観ればいいんでないか。こういう歴史があったの、本当だと思う。差別してひどいことしたのも本当だと思うよ。同じ日本人に対してだって、日本人は差別したし。差別の果てにひどいことしたと思う。だから朝鮮人が日本人きらいって本当だと思うし。仕方ないでしょう。彼らにしてみれば、戦後70年そこそこで、日本人にひどいことしたアメリカ人を、憎まない日本人の方が理解できないんじゃないかな。憎まない日本人がヘンなわけじゃないとは思うけどね。国民性とか、戦後教育の、賜物だと思うから。
徴用された歴史や、浮島丸のことや、そういうことがあった、下北半島や舞鶴あたりには、朝鮮人が多いことなんかを、学べばいいんでないか。
俳優たちの演技もいいし、知らないこと多かったし、面白かったよ。