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ヴァージン・スーサイズのkoのネタバレレビュー・内容・結末

ヴァージン・スーサイズ(1999年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

ほんとに若い女たちが自殺する映画だった。
抱いて捨てて一生に一度の恋だったなんて美談みたいに語る激ヤバ男(ぜんぜんあることだろうな)。そいつと違って味方みたいな面した男子グループも同じで触れたいとか飾り物としか思ってない上、彼女たちの死を自分たちのトラウマや儚い思い出にしようとしてる。

男から女への加害性はもうフェアになりようがなく存在する。性的な記号として消費されるのも宿命みたくなり果ててる。
姉妹はそれにハッキリ疑問をもつ様子もなくずっと女性的に振る舞って男性と接してるのが不思議だった。女としての生きることが不満なのではなくてむしろ好きでそこに被害が付き纏うのが問題ということでしょうか。
酒キスシーンとかを考えると、適当な交際でなんか現実味がなくなって価値が揺らいだことがひとつの原因な気もする。

社会性が見え隠れする両親が不気味だった。ぜんぜんわかり合えそうで、死んでもわかり合えなそう。いやだな。

死んだあとお涙頂戴的な報道を介して 日記を書いてたとか馬が好きだったとかチアリーダーになりたかった とか知って、そういえば彼女たちの中身について一つも知らなかったんだと実感させられた。
でも別にどのキャラも知らないやモテ男とか。

姉妹たちが男子グループを(誘惑して)家に連れ込んで次々自殺したのは、彼らに対してもちゃんと嫌悪感があったからなのかなぁと思う。
にしてもちょっと死ってものを軽く感じてしまった。道徳的じゃないけど間違いってわけではない。ここでは死も生もそんな大層なものじゃなくて、ただ男とか女とかクソで家庭もクソでみんなで辞めただけって私は感じた。苦しんでる様子を知らない勝手な感想かもしれないけど。

ロックは希望の象徴ですか? 自殺を責めたくないし、考えなしに固定観念で生きろなんて絶対言いたくない。でもうちらいつも希望をもっていよう。その方がすごいことが起こるとおれはおもう。
この映画はちょっと無責任だ。

自分は人をちゃんと見つめたがるくせにそれが下手で仕方ない。でも諦めちゃわないで真面目に地道にやっていこうってまたおもった。

色彩とか光の入り方、時間感覚が独特でよかった。

「なぜこんなマネを?人生のつらさも知らん若さで」
「先生は13歳の女の子じゃないもの」

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みてから一ヶ月たったけど、被害性が避けられないという言い回しをしなかったことがこわい。
双方の合意で契約が結ばれても、それが破棄または破られたとき女性に残る被害性。
どこからが加害でどこまでが被害なのかを慎重に考えるべきだ。
フェミニズムって特権階級にとってノイズになるのしにたい。
女性性の解放が性的搾取されるのもしにたい。
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