映画漬廃人伊波興一

東京上空いらっしゃいませの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

東京上空いらっしゃいませ(1990年製作の映画)
4.0
もし今なお健在なら本作が一層進化したシニカルな喜劇が生まれていたに違いありません 相米慎二「東京上空いらっしゃいませ」

まずが由々しき話から
相米慎二という名を知ってはいるが相米慎二が誰なのかを知らない若者が増殖しております。
かくいう私の周りにも「お引越し」という素晴らしい映画は知ってるが、(誰の映画だっけ?)とか、「ションベンライダー」というタイトルに対しては(ピンク映画?)と連想したりする若い人が3人います。
更には「台風クラブ」は知っていても「ラブホテル」「魚影の群れ」は(どこかで聞いたことあるけど知らない)
「セーラー服と機関銃」は知っているが「光る女」そして本作「東京上空いらっしゃいませ」などになれば(え?そんな映画あった?タイトルさえ知らない)

世代的な分類ではなく、これから本格的に映画を学ぼうとする芸術専科の学生たちの間に、です。

その理由は相米本人が自分を秘密のヴェールで隠したような生涯を送ったわけでは勿論なく、彼自身が自分が撮りたい映画の半分も撮らないうちに夭折した悲運からきております。

確かに相米を知らなくても映画は撮れますが、映画そのものを知らなければ話にならぬ。
相米を知らないというのは、(21世紀の映画の現在形)の礎の一部が欠落しかねない、という意味になるぞ、というくらいは80年代世代としては言っておきたい気がします。

「東京上空いらっしゃいませ」は賛否両論の嵐に翻弄された前作「光る女」より遥かに、そして予想通りにあっさりと置いてけぼりをくらいました。

(死)から始まるこの作品の珍道中が悲嘆にくれるのを優位とするような風潮を完全に拒み、バブル景気がもはや幻想に過ぎなかったと気づいた80年代後半~90年代はじめの当時の人々には容認されなかったからです。
(つきあってられん)

ですが同時期に公開された同じ牧瀬里穂が主演する市川準「つぐみーTSUGUМI」のように安易なスノビズムで自堕落になるより、相米のように落胆した時代にこそ、潔く悲劇の快楽を自戒する、という貴重な振舞。
それは世紀末から新世紀にかけての映画の推移を紐解き見渡せば
「鉄拳」「王手」「トカレフ」の阪本順治、「バタアシ金魚」の松岡錠司などの出現に留まらずオリヴェイラやカウリスマキらの開花に至るまで、21世紀に生きる私たちの在り方として遥かに建設的であったことは明白です。
悲劇が優位に立つ時代など20世紀で終わらせれば良いのです。
オーソンウェルズがシェークスピアの『リア王』を実現させていたら?と同じくらい相米慎二が武田泰淳の「富士」を実現させていたら?という貴重な仮説が映画界には存在します。
もし実現していたら21世紀に生きる今の若い観客からさぞかし壮大かつシニカルな笑いを無制限に誘発していたことだろう、と「東京上空いらっしゃいませ」を観直しながらしみじみと思うのです。