タマル

SR サイタマノラッパーのタマルのレビュー・感想・評価

SR サイタマノラッパー(2008年製作の映画)
3.3
ことごとく奪い去られた後、それでも最後まで残った尊厳が自分だけの表現として出てくる。
これも現実と闘うためのイマジネーションを描いた映画である。
彼らから絞り出された表現はラップだった。
18世紀初頭にアメリカの黒人奴隷が自らの不条理な境遇、怒り、やり切れなさを地面に叩きつけ、タップダンスが生まれたように。それは海外から輸出してきた何かではない。本当に一途な、切実な感情より生じてくる芸術だった。

どっちかというと、私にとってはこっちのほうがよっぽど鬱映画だ。なんせMC IKKU君はそれでもうまくやっていけたかもしれないのだ。レジ打ちから社員もどきになって、合間時間に資格の勉強をして、転職の夢をみて日々を過ごす。そのまま30になって、40になって、俺の人生はどうやらこんなもんだと見切りがついた時、結局社会の底辺だったけど、まぁそれなりに楽しかったななんて思いつつ、それなりに楽しく死んでいけたかも知れない。彼の表現は彼の人生を強く拘束することにもなる。「そうとしか生きられない」という呪縛はその後の人生に障害をもたらし続けることになりかねない。まさに、この映画のラストのあのハッピーともバットとも言いかねるバランスが暗黒の未来を象徴していると言える。それは同時にこの時間こそが彼の人生最良の時となってしまうことも意味するが。
ブルーススプリングスティーンの言葉を借りればこんな感じ。

叶えられなかった夢は偽りだろうか?
あるいはもっと悪いものなのか?
タマル

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