ウーノ

モンスターのウーノのネタバレレビュー・内容・結末

モンスター(2003年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

正気とは、普通とはなんでしょうか
その判断は何をもってするのでしょうか
まだ人生の経験の浅い私にとって「普通」とは、「特定の環境下で平均とされる概念」としか考えられませんが、そうすると「普通」に含まれる人はその特定の環境で幾ほどいるのでしょうか

「普通」に含まれることは当たり前でしょうか?
自分が思う「普通」はどこまで通用するのでしょうか?


元ネタのアイリーン・ウォーノスについてはネットのまとめなどで知っていて、この作品での主演の演技が凄まじいと聞いて観てみました
ワイルドスピードで観た時と全く違う、アイリーン・ウォーノス本人とほぼ近い容姿に彼女の生い立ちを思わせる仕草、口調でこちらに感情が伝わるほど熱演する姿はたしかに凄まじい。魅力的な女優さんだと思います。
余りに悲惨な幼少期などに関しては設定が多少変わっていたりぼかされてはいますが、作品としてのまとめ方や映画としての見せ方も素晴らしい
実際のアイリーンよりもかなり美化された点はあると思いますが、逮捕されてからのいくつかのインタビュー内にある痛ましい罵りから読み取れる彼女の悲痛と強さが伝わるような作品だったと思います

自分なりに献身的に世話を焼いているアイリーンの姿は恋人としていうよりも子どもに愛を注ぐ母のようにも感じました。10代前半で産みそのまま養子に出された我が子のことを、彼女はどう思っていたのでしょうね
セルビーのワガママに見える態度も、同性愛者である彼女と距離を置いている親からの愛に飢えた甘えともとれると考えると、お互いの求めるものが一致していた二人だったようにも思えます。

本作の中でセルビーと呼ばれるアイリーンの最愛の女性については(少なくとも日本語のページなどでは)アイリーン本人ほど振る舞いや性格など細かい情報はありませんが、実際の裁判ではアイリーンと目を合わさず裏切った彼女が法廷でアイリーンと視線を交わす描写には、最期まで彼女を悪くいうことはなかったと言うアイリーンの想いを汲んだのだろうかと思いました


セルビーのおばの発言は的を得ているとは思います。しかし、やはりそれは幸運な人の話だ。苦労を抱えながら生きて幸運にもそのまま生きている人の話。
アイリーンのような環境にある人の中で、日本やアメリカなどの中流階級(とメディアなどで言うような)の人間と同じ振る舞いをできる余裕のある人が幾ほどいるでしょう。学を得る暇があるなら今日の食事を得られるよう動き続けねばならない人たちが、努力したとしてどれだけ生き延びられるのか。
本当に怖いのは、別の世界だと突き放してみている環境に陥る可能性が誰にでもあることを、直視できていない人が多いこと。
自分とは違う相手を受け入れることは、何も相手のためだけではない。
ウーノ

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