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ふたりのベロニカのSIのレビュー・感想・評価

ふたりのベロニカ(1991年製作の映画)
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2018.2.13
自宅TVにて鑑賞

現在実習に中国出身オーストラリア在住の留学生が来ているのだが、彼女が「この映画は中国ではかなり人気だったし一番好きな映画」と勧めてきたので鑑賞に至った。

日本語で検索をかけても中国で人気だったといった情報は出てこないし、このサイトの鑑賞数の少なさからいっても、幼年期の曖昧な記憶が少し違った形で残っていたのかもしれない。

クシシュトフ・キェシロフスキという監督の作品は初めてだったが、かなりの曲者なようだ。
幻想的な冒頭から始まり、観客が見たことのない画作りをしようという野心が画面から迸るように感じられる監督である。
この映画はフランス(パリ)とポーランド(クラウフ)を繋いだ作品であるが、その2国を見て何の関係も頭に浮かばないような人間はお呼びでないということだろうか。プロット自体は非論理的で難解に感じた。
だが、その他の作りこまれ方の凄まじさはわかる。
まず建物をはじめとして全体に荒涼感が演出され、少しずつ崩壊していくあの脆い世界で必死に日常を紡ごうとする登場人物達が本当に愛おしくなる。描かれているのは病気や情勢不安、神秘性といった非日常が潜んだ日常であって、その緊張関係は最後まで途切れることが無い。
何が起きたとは言えないあの、我々と非常に近い位置にある世界の日常の鑑賞を終えてしまうこと。それが悲しく愛しくなってしまうというのはこちらの世界の日常を愛し始めてしまっている証左か。そう考えるとあのプロットも納得がいく。劇画的であってはいけないとしたら、フレーム内であっても日常で、日常に擬態していなければならない。

個々のシーンの画作りは特筆すべきで、特にポーランド側でのカットは毎カットが並のカットではない。そのどれもが新鮮なカットで素晴らしい。ベロニカがオーディションに受かった後にスーパーボールで床を叩きながら気分よく歩き、最後に思いっきり床に叩きつけ降ってきた埃を口を開け笑顔で官能的に吸い込むカットは特に印象に残った。全体として緑色光が使われているのは何故だろう。時折過剰な演出のようにも思ったが。

主役のベロニカを演じるイレーヌジャコブはこれでもかと脱ぎまくっているが、下品さを全く感じさせずむしろその健康的で生命力溢れる内面が引き立つ。日常を愛し、日々の努力を惜しまずむしろ楽しんで生きる彼女は神々しい。まさにヒロインである。またその美声は惚れ惚れとするほど豊かで包まれる。高音でノイズになるのが惜しい。

ズビグニエフ・プレイスネルが作る「Van den Budenmayer Concerto en Mi Mineur」は映画全体に使われ、神秘さと荘厳さ、悲劇性を加える。とても気に入った音楽だった。

かなり良い映画です。知っている人は少ないだろうけど、観ておくべき作品として誰にでも勧められる力感ある名作だと思いました。
岩井俊二監督の「Love letter」は今作からインスピレーションを得た作品なようで、ついでに観てみます。

(追記:未練がましいですがプロットについて。
幾つかのレビューを観ていて面白いなと思ったのは、
・生まれはどちらも同じ描写
・共産主義体制崩壊が近付き暴動の起きるクラクフの広場でそれを何事もないかのように歩くポーランドのベロニカと、まるで他人事のように写真を撮る事に熱中しバスで足早に広場から逃げていくだけのフランスのベロニカ
・ポーランドのベロニカにだけ指に火傷の跡がある
・ポーランドのベロニカは素晴らしい芸術の才能があるのに発作で突然死する
・フランスのベロニカは死んだポーランドのベロニカと交わっていた、アクションの起こせた機会があった事を知り咽び泣く
・ラストで大樹を触るフランスのベロニカの指には火傷の跡が出る
という点から、
フランス(資本主義国)もポーランド(社会主義国)も生まれは同じであり、ポーランドの社会主義体制崩壊に伴う衰退によってフランスは生き延びている。また、ポーランドの方が芸術の才能があるという事を示唆?フランスはポーランドの衰退を深く受け止め状況が違えば自分もああなっていたという事を理解して歴史を繰り返さないよう努めるべきだ
という指摘。
かなり筋が通っていると思います。)
SI

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