【静謐な饒舌】
アマプラ見放題にて。何となく見逃していたが、公開はもう10年以上も前だったのか。
予備知識なく見始め、グロテスクな女性歌手が出てきて『ベルヴィル・ランデブー』の監督だと気づく。元ネタがジャック・タチの脚本だとは、後からそういやそうだったなーと。
美術はホント素晴らしいですね。超絶巧いバンド・デシネが動き出したが如く。
動きも、緻密さが素晴らしい。が、それが物語を強める力にはなっていないことが残念。
50年代、とうに時代遅れとなった老奇術師の放浪記。
エンタメビジネスはビジネスだから勝敗がつきまとう。幻想という意のillusionからみれば、より刺激的なものが求められる。
奇術師という意のイリュージョニスト、メリエスは、映画が出てきた時点で乗り換えた。長続きはしなかったが、歴史には残った。当時は、映画が最高に刺激的だったからでしょう。
本作の主人公たるイリュージョニストは、ずっと時代が進んでもうとっくに、ロックバンドにもTVにも負けている。…が、気にしない。心のままに、いわば惰性で生きている。
だから自然と、強い刺激が未達な僻地に向かわないと、仕事にならない。
…まあ、当たり前だよなあという導入。すでに物語としては退屈。そんな彼が、ある場所で純朴な少女に出会うと…。
そこから、別の意味の退屈にシフトしました。
何とも古臭い、男性視点の価値観という。
この少女は、男が“程よく困らせてほしい欲望”を叶えるためのイリュージョンなんですね。
田舎娘なら、厳しい現実を知っているのだから、あんなにふわふわしないでしょう。甘やかされて育った都会っ子みたいじゃん。
で、イリュージョンだから、どこに行き誰と出会おうとも、彼女は自身の物語を紡げない。
そして惰性の老主人公は、そんな彼女をどうにもできず、自分は惰性を続けるしかない。
この物語からは、その程度のものしか受け取れませんでした。だから、中身がないのにくどい長話を、延々と聞かされている気分にもなります。
イリュージョンとは何ぞや?を振り返る、ちょっといい機会にはなりましたけれど。
また、繰り返しますが、ビジュアルの豊かさは凄まじいです。
<2023.8.20記>